ハバロフスク日本人会会報    りっか  рикка     2003年冬・Vol.9 


ハバロフスク日本人会会報    りっか ? рикка      2004冬・Vol.9

 

着任によせて

 

 ハバロフスク日本人会のみなさん、こんにちは。8月下旬にハバロフスクに来ました河野道紀(こうのみちのり)です。新潟県庁から語学派遣生として、翌年の6月まで教育大学でロシア語の勉強をさせていただくことになっております。

 ロシアは全くの初めてで、文化の違いなどに戸惑うことも多いのですが、毎日、楽しく充実した日々を送っています。

 これから、何かとみなさんに教えて頂くことが多いと思いますが、よろしくお願いいたします。

 それでは、最後に着任によせて、ひとつ詩を詠みたいと思います。


     大地よ

 

空から見たとき

あなたはとても冷たく、無表情に見えた

何千、いや何万年もの間、

ひとのいとなみを見続けてきたあなたにとって、

たったひとりの人間が

あなたのもとに

足を踏み入れることなど、

全くとるにたらないであろう

あなたのことを完全に理解するなど
     
無理なのはわかっている

 でも、ほんの少しでも

あなたに触れることができたのなら、

ほんの少しでも

あなたを感じることができたのなら、

わたしは静かに

狂喜するであろう

大地よ

Я вас люблю

あなたがわたしにほほえみかけてくれる日は

一体、いつなのか


☆河原和尊さんの俳句作品☆

 

鈴木宣平さんのご勧誘によりハバーロフスク日本人会の大先輩で現在大手商社の嘱託をされている河原和尊(かずのり)さんがすてきな俳句作品の掲載をご了承くださいました。ハバーロフスクが舞台となる野口均著・文藝春秋社刊「シベリア・ラーメン物語」(一読ご希望の方に貸し出しいたします。岡田21-41-07)に登場される河原さん、といえば思い当たる方もおありかと存じます。

 

歩行と俳諧エチュード集

一行

20031216

帰宅途中の電車の中で、忽然と浮かんだロシア哀悼歌6句。

 うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢は今もめぐりて いかにいます父母
 冥(くら)き川 流れし友の声見えず  198877日午後11時中川公夫はアムールに消えた。
 死の床の針金細し 海の丘  ワニノの丘に土葬の日本人捕虜の墓が数個ある。盛土に墓標     の代わりに針金がささっていた。間宮海峡からの風は冷たく、海峡に霧が深かった。
 森騒ぎ葉陰にこもる魂幾多(たまいくた)  日本人墓地を訪ねるたびに、風が吹き、森がさざめいた。ゆれる小枝と葉陰に成仏できない御霊が漂い、連れて帰って欲しい、と、呼びかけていたのであろうか?
 望郷もすべて凍てつき陽は沈む  アムール川の彼方に沈む夕陽は、赤い血の涙の塊か。
 厳寒に耐えて土筆は生まれけり  ハバロフスクに新しく造成された日本人鎮魂メモリアルパークには,極東では普通生えない土筆が生えていた。
 アムールの波間に響け レクイエム 

   
20031213

 快晴。遠くに雪を頂く富士山を望見し、右に目を転じて、遥か筑波山の山頂を眺めながら、松戸から江戸川の土手を歩くこと約1時間半、流山に至る。新鮮組近藤勇が官軍に捕縛された本陣跡が残る。歴戦の勇士もこの後江戸にて打ち首にされた。飾られた誠の隊旗が明るすぎてそぐわなかった。一茶の句のある光明院と醤油工場が有名で、平坦な町並みが続く。

ひろごりてたいらかな空 土手つたい消えていくかな 美しきさまざまな夢    中也

 

息軽く 光あふるる土手つたい 

 

白雪とまがう雲間の富士の峰

 

空の果て 寄せ来る雲に富士は立つ

 

空渡る 幾億年の陽の光

 

200312月7日

 水戸の弘道館と偕楽園。晴れ、後曇り。紅葉と黄葉の銀杏が美しい水戸城跡。城跡に学校3校と大学を設置している。水戸の市民が勉学を重んじる気持ちが良く分かる。吉田松陰は1854年(嘉永4年)1219日から翌年120日まで、永井政助のもとで水戸学に親しんだ。時に21歳。下田での海外出国失敗まで3年前。

 もみじ葉と身は散りぬとも 武士(もののふ)の名をば 雲井の風に揚げなむ  徳川斉昭(烈公)
 先生の心を訪ねて 銀杏踏む 弘道館の前には大きな銀杏があり、黄色の葉があたり一面散っていた。
 梅の木に尊皇攘夷の夢を聞き 弘道館には<尊攘>の文字が大書されて掲げられている。
松延年の作。いわずと知れた尊王攘夷の水戸学の中心地
 裂帛の言葉も悲し弘道館 幕末流された血はあまりに多い。明治維新は無血革命ではない。
 空広く 春を待ちてし梅の枝     

     
200312月6日

 戸定邸と公園。遠くに富士山、近くに江戸川を臨む松戸の高台にある。徳川昭武(慶喜の弟)の邸宅。紅葉が最後の見ごろであった。

いいぎり

 飯桐(いいぎり)の赤きに赤き 房葡萄 飯桐の実は葡萄状。
 朱(あけ)染めて 風吹き抜ける紅葉径(もみじみち) 異句  風もたちやむ紅葉径
 寒椿 空(くう)に咲いた花ひとつ
 恋心 弾けて赤き曼珠沙華(まんじゅしゃげ)

 

20031118

モスクワの地下鉄チェルターノフスカヤ駅からエリダンホテルまでの帰路。粉雪が舞っていた。片道3車線ある大きな通りに沿って、人通りの少ない歩道を10分歩くと、ホテルに着く。

 愛(うつく)しき人のまきてし敷(しき)たへの 我が手枕(たまくら)を まく人あらめや  大友旅人
 さくさくと雪踏みしめて 妻遠く
 ブロークが歌いし街の白と黒 アレクサンドル・ブロークの<12>
 細雪仰ぎて見すえる夜の闇

 ふりつらむ闇底照らす雪明り

 寂光の影にゆられし白美人 モスクワの地下鉄は暗い。ガラスに映る美女の顔。

☆ワロンカ物語 〜生活と研究から見たハバロフスク〜

 

 6週間の自炊生活は、ハバロフスクの日常生活を体験する貴重な時期でした。もちろん、出産、育児、入院、家賃・光熱費・所得税の支払い、就職、通勤、その他基本的な社会生活を体験したわけではありませんから、決して大きなことは言えません。それでも、コンピューターを肩から提げ、満員バスに揺られての研究所通いや、帰宅途中での自炊用食品買い付けなどは、チョンガー(単身赴任の独り者)にとり、ロシア地方都市の生活を垣間見たといえると思います。

 2年ぶりにみるハバロフスクは、表通りは見違えるようにきれいになりました。中央広場(レーニン広場)とアムール川沿いのコムソモール広場との間をつなぐショッピング通りの街灯は、夜の街を明るく照らし、アムールの夕日に映える教会はひときわ見事です。

 エスカレーターのある「NKスーパーマーケット」のレジに見る市民の旺盛な買いっぷりには驚きました。最低生活費以下の所得層が30%を超えるという公式統計はうそのように見えます。一方、年間インフレ率は統計では10%ということですが、電力その他の公共料金の値上がりに悲鳴を上げ、生活できないとぼやく市民も多いことも事実です。どこにもあるマクロとミクロの乖離現象でしょうか。

 生活してみて、台所用品の種類が極端に少ないことに気づきました。自炊開始と同時に誰もが困ることは、食事の残り物を入れる容器が当面ないことです。箱入り牛乳を買えばいいのですが、安いビニール袋入り牛乳の飲み残しの保存には手を焼きます。その他、ジュース、ケフィール、なども同様。そんな時便利なのが、ミネラルウオーターのペットボトルですが、その場合必要不可欠なのがワロンカ(воронка漏斗)です。これを買うために色々の店を訪ねましたが結局見つけることができず、結局Oさんに分けてもらいました。そのた、ほしかったものは、計量はかり、タイマー(煮物をしながら仕事する場合)、小型砥石(スチール製のがあった)、バターナイフ(小さじで代用)、裏に糊がついたフック(チーシャチ・メロチェイ“小物雑貨店”で見つけましたが、すぐにはがれて使い物になりませんでした)、口閉じピンチなど。日本の百円ショップで売っている生活便利品の店が出店してくれると助かるのだがなどと思いました。家庭用品と書いてある店でも、利幅のとれるカラーテレビ、冷蔵庫、電子レンジなどが売り場を占領し、小物類はほとんど片隅に追いやられています。もう1つ不便なのは、文房具類の貧弱なこと。ノート、ボールペン、ポッチキス、黒板拭き、チョークなどは粗悪で使う気になりません。これは教員と医者の給料の安いこととならんで、ソ連時代から一向に改善されませんが、教育熱心なロシアとしては不思議なことです。また、学習・研究には不可欠なコピー機械の利用勝手が実に悪いことも早急に改善してほしいことの1つです。研究所や大学では、コピー機への自由アクセスは経費の関係で認められていません。街頭では2箇所ほどコピーを受け付ける店があります。A1枚1〜2ルーブル(4〜8円)で日本より安いけれど、平均賃金が2万円程度のロシア人にとってはかなり高くつきます。コイン式の自分でコピーする機械が研究所や大学に設置されるといいと思います。また、携帯電話が普及し始めたのはいいのですが、ネットで公開情報を利用する環境は、「コンピューター通信が遅い、高い、電話との併用が出来ないなど」大学生・研究者にとって厳しい状況です。ハバロフスクで感じたことは、中央(モスクワ)と地方都市、先進工業国とロシアとの間のITギャップが非常に大きいということです。ただし、アムール側沿いにある州政府の国際会議場には、トップクラスの電子式大型スクリーンがあり、パワーポイントによるプレゼンテイションが普通のこととなっていますし、コンピューター専門家の技術レベルはかなり高いとの印象を持ちました。1999年から右肩上がりの経済成長を続け今年も6.5%を記録し、成長率は外国貿易23%、投資12%、小売り8%、導入外資50%(投資先ランキングで世界8位に進出)というロシア経済ですから、次第に生活・研究環境も改善されるものと期待できます。日本人の対ロ感が、現実の変化(改善)に追い付いつかず、ソ連時代のイメージからあまり変わっていないことを帰国後痛感しました。百聞は一見にしかず、いちどロシアに出かけられることをお薦めしたいものです。

 ハバロフスク滞在中は、日本人会の皆様になにかとお世話になりました。忘年会でのゲームは、さまざまなアイデアが盛り込まれ楽しいものでした。How much? ゲームで九州チーム(?)の独占優勝は驚きでした。2004年が会員の皆様にとりいいお年であり、会員が益々増加すること、お怪我をされた鈴木宣平さんの1日も早い回復を祈ります。これからも、しばしばハバロフスクを訪問したいと思います。その節はよろしく。                           望月喜市(北大名誉教授、ロシア経済)

 

☆一冊の本☆

 

 昨春、ムラヴィヨーフ・アムールスキイ通りにあるレストラン「ルーシ」をその御祖父様が建てられた大阪府泉佐野市在住の竹内昭二さんご夫妻と同じ飛行機に乗り合わせ、大変お世話になりました。夏に再訪された竹内さんより、堀江満智著「遙かなる浦潮」という本を戴きました。「ロシア革命前、極東ロシアに存在した日本人居留民社会と民衆が紡いだ日露交流――遺された日記、写真などからその実像に迫る。やがて、それを破局に導いた「シベリア出兵」とは何だったのか。近代史の忘れられた一頁を、いま民衆の視点から問いかける」(帯より)本です。一読ご希望の方に貸し出しいたします。(岡田21-41-07

☆鈴木宣平さんよりご投稿 第2弾☆

 

秋号に初めて投稿して以後感じたこと:

投稿すると仲間意識が出てくる。 先回の文章をチェック、推敲、次また投稿しよう、という意欲が湧いてきて書いてみる。 ひょっとして自分に文章力、表現力がついてきたのでは、と背筋がのびる。 

秋号では、恥ずかしながら、ころんで怪我したり、クレジットカードを盗まれた話を書きましたが、その後ハバと日本を往復したので日ロの比較、感想など気づいたことを書いてみす。

 

病気、怪我 : 私の場合はすべって、ころんで脳卒中、で、皆さんの参考になるかどうか。

1.病院

日本もロシアも大病院そのものに違いはないように思える。 どちらも助かる見込みのある患者しか治療しない。 どちらも検査は多かったが、ロシアが点数制かどうかは調べられなかった。 どちらも病院に割り引きサービスはない。 日本で阪神が優勝した時に、病院以外、デパートも、一杯飲み屋も、コロッケ屋もどこでも、何もかも割り引きだったのに、、、病院だけは、かたくなに割引を拒否。 ロシアの大病院には集中治療室も、個室も、リハビリ・ルームも、浴室も有る。 売店も食堂も揃ってる。 患者と真摯に向き合う医師と笑顔の看護婦に看護士、ゴム手袋で走り回る「汚れ係」がいづれの国ともいまどき揃っており、皆やさしく、若く、「しも」の世話をしてくれる。 ロシアの病院には、日本ではふた昔前まであったという山崎豊子の「白い巨塔」ばりの「総回診」のミニ版みたいなものがある。 専門の先生に医者の卵達や学生達が4〜5人ついて来てコマゴマしたことをやる。 医者の卵に血圧を測られて損した気持ちになるが、でも若くて色気のある美人達だからまぁいいか。 ロシアの医者は外科を除きほとんど女医だ。 外科は力仕事? ただロシアは相変わらず「顔」が大事。 特に緊急の場合は顔、つまりコネがあれば便利でとても速い。 ロシア人はいつも言う: 100ドルより100人の知人のほうが有利、と。 知人がいるからといって安いかどうかの評価は難しい。 ロシアは顔があれば治療費は基本的にはタダだが、お礼にたいまいのお金がかかるので要注意。 

薬はこちらが素人なので貰ったら信じて飲むほか無い。 しかも、注射はいくつになっても恐ろしい、ロシアでは大丈夫かなぁ、と思うが、信用して我慢するしかない。 「日本の飲み薬を参考のためにロシアの病院で見たい」、と言うから見せると、ほんとかどうかは別として、「あぁ、これなら知ってる、単なる患者の気休め」、と日本の薬をバカにする。 で、ロシアの病院内の薬房を覗いて見ると、そこには国内製と中国製の薬ばかりがずらり。 高級品置き場にはアメリカ製、ドイツ製、韓国製、日本製医薬で、病院幹部しか触るの禁止。 きっと特診患者用、「顔」用なのだろう。 点滴溶剤はすべてが国産または中国製、特にブドー糖のような栄養点滴剤はほとんどが中国製。 きっと安価なのだろう。

病院の点滴好きは日ロ同じ。 医者にとっても、患者にとっても、「点滴」は即効性で便利。 腕やももを触って、心臓に近くなければよし、 また液剤の内容に注意さえしていれば、液剤を与えすぎても医療ミスはまずない。  ただ、ロシアの点滴溶剤の入れ物はすべてガラス瓶、日本はビニール袋。 びっくりしたのはロシアでも点滴器材1回きりの「使い捨て」。 進歩したものだ。 身体に刺す針はロシアでは鉄製の少し長めの針で、腕にワタと絆創膏で固定されてしまうので、腕を自由に動かせないで、点滴中は寝たままだが、日本では針が特殊なプラスチック針で、優秀な接続部分のせいで、日本では点滴中でも腕はしなやかに動かせ、多くの人が点滴を付けたまま散歩したり、点滴を付けたままトイレに行っている。

ロシアに診察券は無い。 で、次回の予約を頭の中に叩き込む。。 日本は診察券が電子化されており、入口から出口まで機械の箱とご対面、四苦八苦。

カルテ ―もちろんどちらの国にも有る、が、ロシアは従来通りで、ファイルに用紙いっぱいで、医師が必死に手書き。 日本では紙、用紙がコンピューターの中に入ってしまった総合電子カルテ・システムで、次回予約券、処方箋、会計伝票まで今では担当医の指一本。

ごみ ―はロシアの病院ではさすがに分別して捨てられている。 ロシアも特に医療ゴミには国際水準並みに神経を使っているらしく、ガラス類を別にこまめに捨てている。 しかしゴミカゴを良く見ると、点滴のあとの1回限りの使い捨てビニール管チューブに鉄の針がついたままハサミで切り刻まれていたりして一緒に捨てられている。 看護婦は「長い物は50cm以下に切れ」と言われてるから切ってる、と平気。 燃えるもの、燃えないもの、の考え、金属、危険物は別、の頭はない。  日本では資源ゴミとみなされ、分別される物が、ロシアの一般家庭では新聞、雑誌、一般紙類とペットボトル、一般プラスチック類、金属、衣類がごちゃ混ぜに捨てられている。 暇なので市内北地区のゴミ焼却場を見学したが、なんぼ領土が広いと言っても、分別なしのゴミが24時間青天井のもとで公然と豪華に燃やされていては、地球温暖化に拍車をかけている。 何とか先進諸国並にならんのか、と言っても「ロシアももうすぐ先進諸国並みに分別できる啓蒙は終わる。 しかし、ゴミ焼却設備と設置費用は日本持ちだど」と言われた。 ロシアではこんな派手なゴミ焼却が全国どこでも同じように行われているらしい。 どうりでプーチン大統領は地球温暖化阻止条約に批准しないわけだ。

レントゲンの設備は大病院なのでロシアにも一応何でも有る。 普通の内臓を撮るものの他、脳外科にはコンピューターで放射線を照射するCT, 先端技術の磁気と電波を照射して、X線を出さないで放射線障害のないMRI(何故MRIの発明者はノーベル賞をもらえなかったかいまだにわからないが)、外科には内出血がまだ続いているか、どうかを見るカメラがある。 しかし、ネガティブ・フィルムを受け取り、日本に持ち帰って医者に渡し、日本で撮ったMRIの写真と比べると、素人でも一目瞭然、もちろん日本の方が鮮明。 ロシア人の方が眼と頭がいいんだろう、と言われた。 「実は私、今日は撮影の予定が入っていまして、、」、「レントゲンの、、、」、と言うと、日ロどこでもにが笑いされた。

ロシアの病院は現在なんでも「お金」、しかもルーブル建だけど、外人にとっても案外高い。 ソ連の時は医療はタダだった、と言うと「今はロシア」と言われる。 個室もあるが、ロシア人にとっては高いのではないか。 でも個室はいつもほとんど満室。 私の時は二人部屋で、3食付1日一人分520ルーブル(約17ドル)の部屋代だった。 外人にとっては、日本の病院と比べれば、勿論安い。 治療費は別ですよ。 寝巻き、スリッパ、下着は自前。 病院指定の飲み薬、注射液、使い捨て注射器までも自前で、街の薬局で買ってきて(これが高い)、名前を書いて看護婦に渡す。 でも、今どきのロシア人は「高い」ことなどトンチャクなし。 裕福なんだろう。 街並み、建物、歩道はきれい、子供の教育には惜し気もなくカネを注ぐ。 衣料、食料は贅沢、高級自動車、高級住宅でも簡単に買う。 市民のニーズは計り知れない。 みちのく銀行はいいところに目をつけた。 またロシア人は以前と違って自由だ。 自分で治そう、と思えば、カネさえあれば、もう昔のように、耐えることも、悲しむことも、怒ることも必要ない。 満足して、自由になんでも出来るようになったからである。 高い病院の請求書にも、いつもの文句を言わず、カネは出す。 ロシアでも今では一般市民に、生命、財産、病気、怪我の時の保険制度がある。 しかし、保険金請求はいつも処理が完全に終了してから、は、あれれ、日本と同じか。 共同トイレは廊下を歩いて約40mも先にあった。 ロシアのトイレを、特に「大」用を、まとも、だと思う人はいない。 日本ではすでにおなじみのビデ、乾燥装置付きのパワー便座をロシアで期待してはいけない。 養護施設でよく見る風呂、シャワーの設備もあったが、私は使わなかった。

トイレ、― ロシアのトイレにつき書こうものなら1冊の本になってしまう。 で、新潮社発行、あの有名な椎名誠の渾身の著、「ロシアにおけるニタリノフの便座について」をお読みください。 トイレの日ロ比較はここで書くだけ無駄です。 私には眼に見えない匂いを言葉で表現する能力が無い。 私がいまだにわからないことはと言うと、ロシアの公衆便所に、大病院でも、必ず、何故か「便座」が無いことくらいか。 なんでだろう? ダーチャといわれる農園へ持って行ってしまった、とは思えないし。 行ってみたが、そこにも便座を見たことがない。 比較で思い出すのはトイレットペーパーだ。 今でこそ国産のペーパーも品質が良くなったが、でも韓国製の、そう、外国製のが普通だが、純ロシア製の(本当は以前のソ連製の)安い、黒い、いや茶色いトイレットペーパーをお使いになった方がおられるだろうか。 これは使用時に「揉む(もむ)」と紙が薄皮せんべいのようにバリバリ、粉々になって、最後には粉末になるあのやつです。  ところがこれにいっちょうまえにミシン目の点線が入っている、しかもこれがそのミシン目で切れたことがない、必ず手前かそのあとで破れる。 そこでハハーンと思いついた人はロシア通です。 ソ連時代のアエロフロートの飛行機は翼や羽がよく折れる。 修理しても同じ場所がまたまた折れるが、が、今でも彼らの最終修理は折れた場所にドリルでミシン目を入れる、すなわち、二度とそこから切れないようにするために。 

「お酒」大好きなので、一寸一杯をすっかりあきらめていたところ、ロシアでも日本でも医者は同じことを考えているのか、お酒については日ロそっくり同じ扱いなのには驚いた。 共通項は、と言うと、退院後は脳梗塞には醸造酒(ビール、ワイン、日本酒)ならOK、蒸留酒(ウオッカ、ウイスキー)はダメ、ただし飲み過ぎないこと、とのご託宣でついついニンマリ。 ところが帰国後、日本の新聞には「焼酎」も脳梗塞に良い、と書いてあった、と家庭での食卓で懐かしい焼酎も出てきた時は思わずバンザイ。 飲んでも飲まなくても、ろれつがまわらないのは同じだから仕方ないか。 もちろん病院内では、酒はどちらの国も一切出ないのはあたりまえ。 また呑み助に限度、適量をわきまえよ、なんて無理な話。 しかし飲みすぎが「危険」なのは分かっちゃいるけど、、、。 帰国時、空港で、病院の担当医から朝鮮人参のウオッカ漬けを土産に貰ったが、もしもしベースはウオッカでは、、、「ウラ〜ァ(ばんざ〜い)」。

診断書、これはロシアの病院でも退院時、露文か英文(あなたの要求に応じて)発行してくれるので、必ず受け取ること、相手が黙ってたら要求すること。 日本へ持ち帰って、自己流の翻訳でなく、そこそこ有名な翻訳センターか、病院指定の翻訳会社で翻訳してもらえば、まず日本中の病院で紹介状が要らない。 日本はどこでも診断書だの紹介状は高額だし、必ずそれらをあちこちで要求されるが、ロシアの診断書とその翻訳があれば日本中どこでもその分安く、早く診察を受けれる。 ロシア語の診断書があればダリアビアの空港カウンターで見せると、お好みのより良い席が優先的に取れる。 ロシアでも、日本でも保険金の請求に必要、日本では翻訳を添付すると保険金のおり方が容易で,速い。 日本へ転入届のあとの役場の福祉課での相談にも役立つ。 診断書は必ず受け取ってください。

2.ホーム・ドクター

頼らず、期待せず、ワガママをぶっ通し、「一人が一番」、と思ってハバロフスク生活を始めたのに、滑って、ころんで、ロシアでも日本でもたくさんの人々に迷惑をかけてしまった。  

外地でホームドクターが傍にいればそりゃ便利で心強い。 ところがハバロフスクには街なかに皆さんの「ホーム・ドクター」がありますよ。 私も助かりました。

  名称: 「ホーム・ドクター」(Poliklinika "Domashnyi Doktor")

  住所: 680021、ハバロフスク市、ウラジボストークスキー通り、38 (鉄道駅前正面通り左側を左折れ、通り「ウラジオ通り」に入り、警察署の前を通りすぎてちょっと先の左手)

  電話: (421−2) 30−14−48

  ファクス 兼 電話(夜間): (421−2) 30−46−40

  E-mail : gord@pop.redcom.ru (ロシア語か英語)

  携帯 : 8-902-548-58-14 ちょっと長いが全部ダイヤルする。 内科担当ゴルジエンコ医師の携帯。

  診療科目: 内科一般、小児科(1歳以上のこと)、内分泌科(特に糖尿病の治療、予防と相談)、神経内科、外科一般、皮膚科、中国式鍼灸

特徴は、私設診療所で、市内第二の規模を誇る鉄道病院の医者を中心に、市内の医者が集まっており、「あらゆる方面の専門家集団」を誇る。 実際に、どんな疾病にも対応できるよう、市内に顔、コネを持っており、あらゆる疾病の、特に心臓病、難しい内臓病と外傷、神経病理(脳神経外科、精神科、心療内科)、内分泌、呼吸器疾患に対応(検査、診断、治療、紹介)できる、と豪語する。 

10:00〜18:00 は上記住所で外来を診療するが、昼間の往診、患者宅での治療、点滴、注射、介護のほか、夜間の往診も受け付ける。 緊急の場合は上記へ電話してみて下さい。 一般内科担当(専門は内分泌科)のゴルジエンコ医師のみならず、多くの医師が携帯電話、自家用車を保有している。 車庫、駐車場は自宅の近所、年中24時間監視員付き、冬は暖房付きの車庫です。 私、鈴木宣平、がハバに常駐していた時は、難しい医学用語ながら、たどたどしいロシア語−日本語通訳を診療所の営業時間外も担当しておりました。 まさかの自分自身がお世話になってしまったけど、、、。

ワクチンは診療所に冷蔵庫完備、国産も輸入物も各種常備しております。 

上記のほか、「派遣」に応じています。 看護婦、介護役、子守、家政婦を派遣します。 料理人(コック)の派遣にも応じます。

私、一人暮らしの経験から、救急は内科、外科の他によくある「眼、歯、鼻、耳」の痛みはどうしてくれる? ―電話をもらえば、相談し、急な場合は応急措置し、病院、医者を紹介する、とのこと。 

この診療所の基本は「コンサルティング」だと言う。 「ホーム・ドクター」の基本通り、普段から皆と仲良くすること、いざ、という時、その人を優先的に治療、またはその人に素早く優秀な医師、病院を紹介すること、だそうです。 そのために普段から広く総合予防運動を行い、自分の専門の腕を磨き、コンサルティング(気軽に健康相談にのる、沈黙の病気、つまり自覚症状のない病気の早期発見、より良い生活への指導とそのケアー、精神的充足感)に、特に生活習慣病(喫煙、飲酒、甘味好き、肥満、激痩せ、高血圧、糖尿病、高脂血症等)のコンサルティングに、力を入れている、とのこと。 この診療所のお悩みは、と問うと、知名度がまだ小さいこと、ロシア人とは既にクチコミで個人、企業、組合、団体との契約もあるが、市内在住の外国人と仲良くしたいのに機会がない、とのことでした。 あなたも相談だけしてみて、気軽に顔をつないでおいてみてはいかがですか。 ロシアでは暗がりで急に襲われ、怪我をすることがあり得ますが、日本にいる私が急に襲われるのは、めまい、動悸、息切れくらいにもの。 ここの診療所の医者も看護婦も事務員もみんなきさくで、いい人達ですよ。 お世話になったので、日本からメールで「I can live again.」と書いて医者に送ったら、とても喜んでくれたそうです。 でも生(なま)の人間だから、生のふれあいが欲しい。 会って直接、心から、「ありがとう」、と言わなければ。 早くハバへ行きたい。

 

財布、クレジット・カード紛失

財布をすられ、アッと言う間に、中に入れてあったカードで、宝石屋で、四千ドルもの買い物をされてしまいました。 さいわい、遣われた金額にカード会社は保険に入っており、当方義務の手続きも万全だったので、金銭的には、財布内の現金とハバからの電話代以外は被害がありませんでした。

 大事な物を失くした時は、躊躇しないですぐ警察に届けましょう。 怖がることはありません。 やさしく話を聞いてくれ、調書を書いて、その写しか、または届け出証明書を発行してくれます。 

 クレジット・カードを紛失したり、盗難にあった時は、

(1)              カード会社に連絡する。 

0120−XXXX....の「電話料金受信人払い」の番号は海外からは通じない。 海外からも通じる電話番号を、カード番号と一緒に別の場所に控えて、保管しておきましょう。 つまり、カードと秘密の紙切れを一緒に持ち歩かないこと。 特に暗証番号はカードと一緒に絶対財布の中に置かないように。 ご存知のように、カードと暗証番号だけでドルでも、ルーブルでも銀行の現金引き出し機(バンコマート)で簡単に現金を引き出せます。 

(2)              カード会社は保険に入っており、カード会社は警察へ届けた、という警察発行の届出証明書を必ず要求します。 警察へ必ず届けましょう。

(3)              「届け出証明書」はA4の簡単なもんです。 自分で翻訳して(または近くの人に翻訳してもらって)カード会社の紛失通知書と一緒にその証明書を会社に郵送すれば手続きは終わりです。

できれば、すべての手続きが終わったあとで結構ですから、大事なものを紛失したり、盗難に遭った「体験談」を総領事館に届けたり、この日本人会々報に投稿して、情報交換しましょう。以上

鈴木宣平連絡先:日本:natsunora@ybb.ne.jp/バロフスク:suzukikhv@pop.redcom.ru

 

☆暮らしのミニ情報☆

 

◎とても美味しい中国産の日本米。レーニン通りと路面電車が走るシェローノヴァ通りの角の市場に売っています。レーニン通り側の入り口から入りますと、まっすぐ進んでなかほどよりすこし先の左側のお店です。売り子さんは東洋系のご婦人で、1キロ入りの透明のビニール袋に「рис / япония」と書いた小さな紙が張られています。1キロ17ルーブリ。

 

ロシヤ諸都市のライヴカメラ http://www.livecam.ru

 ハバーロフスクのライヴカメラ http://www.oao.kht.ru 

 日本の書籍をさがすなら    http://www.books.or.jp/         

☆哀悼「鶴」の詩人☆

 

 2003113日、“ソ連で彼を知らず愛さなかった人を見つけるのは難しかった”(Ye.エフトゥシェーンコ)ダゲスターン共和国出身の詩人で翻訳家のラスール・ガムザートフ氏がモスクヴァで逝去しました。享年81歳。ガムザートフ氏は、アヴァール語とロシア語で詩を書き、プーシキンやレールモントフ、マヤコーフスキイやエセーニンの作品をアヴァール語に翻訳し、雑誌「ノーヴイ・ミール」や「民族の友好」の編集委員を長年つとめ、氏の詩をもとにD.カバレーフスキイやM.カジラーエフが歌曲を、R.パーウルス、Yu.アントーノフ、A.パーフムトヴァが歌を作曲していますが、とくに有名なのは、斃れた兵士についての作品「鶴」かと思われます。この歌は、シベリヤ被抑留体験がおありで音楽を能くされる当会会員・田中猛さんのレパートリーに含まれています。以下、N.グレーブニェフの露訳からの拙い重訳です。

 

     ЖУРАВЛИ                                               

 

Мне кажется порою, что солдаты,          私にはときにこう思われる、

С кровавых не пришедшие полей,          血にそまる戦場からもどらなかった兵士たちは、

Не в землю нашу полегли когда-то,        かつてこの地に斃れたのではなく、

А превратились в белых журавлей.         白い鶴と化したのだと。

 

Они до сей поры с времён тех дальних  かれらはあの遠い時代から今にいたるまで

Летят и подают нам голоса.                     飛んでいて私たちに声を発している。

Не потому ль так часто и печально         だからこんなにもしばしばそして悲しく

Мы замолкаем, глядя в небеса?               私たちは空をながめて黙すのではないか?

 

Сегодня, предвечернею порою                 今、日暮れまえに

Я вижу, как в тумане журавли                  私は目にする、もやのなかを鶴たちが、

Летят своим определённым строем,         人であったときに地上をやっと歩いていたように、

Как по земле людьми они брели.              きまった隊列をなして飛んでいるのを。

 

Они летят, свершают путь свой длинный  かれらは飛んでいて長い旅をしていて

И выкликают чьи-то имена.                       誰かの名を大声で呼んでいる。

Не потому ли с кличем журавлиным        だから大昔からアヴァール語は

От века речь аварская сходна?                   鶴の声と似ているのではないか?

 

Летит, летит по небу клич усталый ―   飛んでいる、空を飛んでいる、疲れた声が、

Мои друзья былые и родня.                       私の在りし日の友や親戚の人たちが。

И в их строю есть промежуток малый そしてかれらの隊列に小さなすきまがある、

Быть может, это место для меня!             もしかするとそれは私のための場所かもしれない!

 

Настанет день, и с журавлиной стаей      その日がくれば、鶴の群れとともに

Я полечу в такой же сизой мгле,              私はこんな青みがかったもやのなかを飛びたつのだ、

Из-под небес по-птичьи окликая              空の下から鳥のように

Всех вас, кого оставил на земле.            私が地上に残したあなたがたみんなに声をかけながら。

 

☆ハバーロフスクの新年の歌☆

 


  新年の歌    V. イワノフ作

 

ハバーロフスクのうえに星たちが輝く。

ちょうど夜の12時きっかりに

どの時計も針が重なる。

極東よ、新年おめでとう!

*  新年の訪れを最初に迎えるよろこび。 

 新年よ、モスクヴァの大時計までよい旅を。*

 

新年は、賑やかな歌、明るい思いを連れてくる。

このお祭りのリレーで新年は進んでゆく。

 * くりかえし

 

クレームリの星たちの明るい光が

ますますつよくひかり、輝きだす。

新年が、喜び、新たな功績、

新たな成功の年でありますように。

*  くりかえし

 

2003年ハバーロフスク開基145周年記念   カセット「ハバーロフスク歌集」所収)


☆日本語クラブの交流会に参加して☆

 

 1215日晩、教育大の日本語クラブが企画された交流会に参加させていただきました。前半は、クラブの方々自ら日本語に翻訳されたロシヤ民話の寸劇風暗誦朗読。日本人にもおなじみの「きんのさかなのものがたり」、「おおきなかぶ」、「モロースコ」の3題でしたが、いずれも訳がすばらしく、それをすらすら暗誦される姿に感服するとともに、ユーモア溢れる自然な演技に心が温まりました。後半の紅茶やお菓子をいただきながらのティーパーティでは、くつろいだ雰囲気でのなにげないかたらいのひとときに心が潤されました。また、日本人留学生の方々がスタッフとして参加しておられ、露日の若者同士の交流にとても爽やかな印象を覚えました。みなさん有り難うございました。次の会も楽しみです。 岡田和也                    

 

☆新聞拾い読み☆

 

【レモン+ニンニク】

「わが家の風邪・流感対策は、レモン+ニンニクです。レモン1個とニンニク7欠けを細かく切って500tの一度沸かした水に1-2週間浸けておきます。毎朝茶さじ1杯飲めば、冬じゅう健やかです」

クラスノダールスク地方・N.A.ゴルバチョーヴァ(新聞「論拠と事実・健康」50/200312月)

【牡丹江へのフライト? どうぞ】

 航空会社《ダリアヴィア》は、ハバーロフスクと中国の牡丹江との間のチャーター便の運航を開始する。

 ハバーロフスクで《ヴォストーク・メディア》の記者に明らかになったところでは、9205便が、毎週水曜日と日曜日にトゥーポレフ154型機で運航を行う。飛行時間は、1時間20分。

(20031118日付・新聞「アムール報知」)

【国家の褒章】

 ヴラヂーミル・プーチンロシヤ連邦大統領の大統領令により、ロシヤ連邦と日本の間の経済協力および友好関係の発展の面での貢献にたいして、《みちのく》銀行会長、青森市におけるロシヤ連邦名誉領事の大道寺小三郎氏に、友好勲章が授与された。       (20031128日付・新聞「太平洋の星」)

【ロシヤ初のビロードの切手】

 ロシヤ通信情報省出版ビジネスセンター《マールカ》できのう、ロシヤの郵便史上初めてビロード(人工)の紙の郵便切手が発行される、と発表された。マローズおじいさんが描かれたその正月にちなんだ切手は、121日に発売される。発行枚数、45万枚。発売初日、モスクヴァ郵便局では、《初日》という特別のスタンプで記念の消印が押される。     (20031129日付・新聞「イズヴェースチヤ」)

* 郵便局38(ヴォロチャーエフスカヤ通り188。アムール並木道をセールシェフ通りへ上っていくとナ  

  ロードナヤ・カンパーニヤのすこしうえの右手です)の切手センターで売っています。1枚7ルーブリ。

 

NHKワールド・ラジオ日本」周波数表(20031026日〜2004328日)


   <東南アジア向け>

     日本時間   kHz

日本語 11.00-12.00 11860

        11.00-14.00 17810

        16.00-18.00 17860

        16.00-19.00 11740

        18.00-00.00 11815

        01.00-04.00  7200

        04.00-09.00 11665

        05.00-07.00  7225

   <アジア大陸向け>

          日本時間   kHz

日本語 11.00-12.00 17845

        11.00-14.00 15195

        16.00-17.00 15195

                     6145

                     6165

        17.00-00.00  9750

        01.00-02.00  9750

        01.00-04.00  6035

        04.00-06.00  6165

        04.00-09.00 11910

 

ロシア語12.30-13.00 17845

        15.00-15.30 11715

                11760

        17.00-17.30  6145

                     6165

        22.30-23.00  6190

04.00-04.20  5955


 

ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」周波数表(20031026日〜2004327日)(日本時間/kHz)     

  日本語 21.00-22.00  中波630 720 短波 6125 / 22.00-23.00  中波630 720 短波 5920 6125

 * HPアドレスは、http://www.vor.ru 22.00-23.00の放送はリアルオーディオでもお聴き戴けます。


* ハバロフスク支局では番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46/岡田)

 

【編集だより】季刊のペースで第9号となりました。プリント版は、総領事館と日本センターに置かせて戴いております。次号の締切りは、2004年3月末日です。暮らしの情報、離任着任メッセージなどお気軽に岡田までお寄せください。(職場32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@pop.redcom.ru)素敵な原稿をお寄せくださった方々に改めて感謝申し上げます。詩歌のご投稿に触発されて一首ひねりました、一条のベンガル花火手に取りし母子佇む吹雪の露店。では日本人会のみなさまどうぞよいお年を!


 



六花(РИККА)冬(9)号


















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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