六花(РИККА)冬(25)号
ハバロフスク日本人会会報     りっか 六花 рикка         2008冬・Vol.25
                   


2007年の忘年会&新幹事に吉川さん☆

125日、恒例の忘年会がザパーリン通りのカフェ『ブリュース』を会場に催されました。今年も40名近い方が参加され、心和むひと時をご一緒することができました。お忙しいなかご参加くださいました皆様、開催にご尽力くださいました皆様、楽しいゲームで盛り上げてくださいました皆様、クイズの賞品をご提供くださいました皆様、有り難うございました。

なお、昨秋離任された吉浦隆行さんの後任として、おなじく伊藤忠商事の吉川敏秀さんが、当会の幹事を務めてくださっています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

☆お米について/後藤博文(2007年12月14日・記)☆

これは私も全く知らずにいたことですが、

 

つい最近の法律改正に伴い日本からロシアへの農産物の持込規制が強化されたとの事です。

改正前は一人につき5KGまでは持ち込み出来たお米が、改正後は一切不可能となったとの事です。

当日は私のほかにもみかんの持込で引っかかっている人がいました。

やはり持ち込みは出来なかったようでした。

 

現場は出口付近の最後の荷物検査? 現金等、ロシア持込について申告を行う必要があるときに書類と共に現物を検査するところです。

 

後日談として、やはり最近のことですが、大金を無申告で持ち込もうとした人がそのすべての金銭を没収されたとのうわさも聞いております。(入管?の知り合いの話では本当のようです。)

 

まだ私の知らないことがたくさんあると思います。

皆さんの知っている情報もお聞きしたいです。

(※編集子は、2007年春、日本に一時帰国してこちらへもどります際に新潟空港で手荷物にしていたお味噌を3キロ手放すことになってしまいました。液体の機内持ち込みについては注意していたのですが、ペースト状のものも持込制限の対象になることを知らなかったのです。検査官の方に、手荷物から預ける荷物に詰め替えればだいじょうぶですよ、と言われましたが、その分さらに重量超過料金がかかってしまうため、やむなくそのままお味噌とお別れしました。それにしても、後藤さんのお米や私のお味噌はいったいどこへ行ったのでしょうね。)

(※お米といえば、1227日、ムラヴィヨーフ・アムールスキイ通りのドラマ劇場のそばのカフェ『アルゴ』のならびのお惣菜屋さんで、のり巻きを発見しました。タイセイヨウサケ巻き(роллы с сёмгой148ルーブリ、イカ巻き(роллы с кальмаром38ルーブリ、シロザケ巻き(роллы с кетой35ルーブリ、カニカマ巻き(роллы с крабовой палочкой32ルーブリでした。)

 

☆ワードに於ける漢字変換についての一考察/田中 隆☆

 

ワードを使っていると、全く訳のわからない変換が出てきて、思わず笑ってしまったという経験は誰でもお餅のことと思います。少し遊んでみましょう。

常時ワシントン。は、常宿はワシントンホテル、ですが、情事ワシントン。になると、ワシントンホテルの情事。な気がするから可笑しいですね。はは。

特に、酔っ払ってワードを打っていると、手元の狂いと、変換ミスが重なって、かなりの傑作が期待できます。

 詰まらない書類や、報告書、など書いているときに出てくる滑稽な漢字変換を保存して、後で笑うのも一興です。皆様、どうぞお試し在れ。
  
         


☆チュコト探訪記/田中隆☆

 

のっけから脱線するが、ぼくが中学の頃の話。

 千葉県船橋市の団地にあったぼくの中学校で「ラッシャン」と云う言葉が流行っていた。訳が判らない、意味不明、奇態な、などと云う意味で使われていたこの言葉は、たとえば「あいつラッシャンだぜ」「さっきのテスト、ぜんぜんラッシャンだったぜ」「あいつの言ってることラッシャンだよ」「なにラッシャンなこと云ってんだよ」のように使われ、「あいつ、訳わかんねえやつだぜ」「さっきのテスト、ぜんぜん出来なかったぜ」「あいつの言ってること解かんねえよ」「なに訳わかんねえこと云ってんだよ」と翻訳される。

ぼく等が一年の時使っていた英語の教科書、Total Englishの、Stanislav is russian boy.と云う文章に由来しているのだが、1970年代後半の日本人全般の認識としてのソ連(ロシア)は、やはり訳解からん国であったのだと思うし、二十一世紀になった今でも一般の日本人にとってのロシアはやはり訳判らん国であるのだろう。

余談では在るが、ぼくはかなり長い間、アメリカ人達が「サノバビッチ」というのをロシア人の苗字、つまり、「てめえはロシア人のような奴だ。最低の野郎だぜ」と云う意味での蔑称だと思い込んでいたのも中学時代のラッシャンがぼくの中に深く根を下ろしていたからだろう。もちろん正解は皆様ご存知、Son of a bitch! でした。

その、日本人にとって訳判らんロシア人たちが「訳判んない奴」の意味で使う言葉がチュクチャであり、ロシア人にとってのチュコト人は、ぼく等、団地の中学校生達が思い描いた(描けなかった)ロシア人の様なものであり、今回その「地の果て、辺境の地、アブラモビッチ」な所に行って来たぼくはラッシャンな(訳判らん)日本人であるので、謎が謎を呼び、ツンドラにトナカイは舞い、海岸ではアザラシを蹴散らし、ヘリコプターは落ちる!イルカでGo!スリルとサスペンス!うなる国境警備隊のカラシニコフ!

となる予定だったのだが、さて……

 

 

今回のチュコト旅行の話は今年の春に始まった。

チュコト自治管区の主催で、観光開発をするために各地の旅行代理店を招待してチュコトを案内して回る、といった体の企画で、ハバロフスクの旅行会社が自ら参加、そして日本の旅行会社に向けての営業担当。当初、ぼくは日本の旅行代理店から派遣される人達のための通訳として参加、の予定だったのだが、始めの予定は流れた。

夏になったらやるから、行ってくれるか。との問には、もちろん行きましょう。と答えておいたが、やはりロシアのこと。ある筈のものが無くなることは日常茶飯、あまり期待はしていなかったのだが、6月の半ばになって電話がかかってきた。日本の旅行会社に改めて招待のメールを打ちたいので翻訳を頼む、由。挨拶状とスケジュール表を翻訳して渡したが、予定はお盆を跨ぐ日程で、正直、この繁忙期に、しかも四十五日以上前に申請をして通交証を貰わねば行けない場所ゆえ、代理店には考える時間も、予定を立てる時間もなく、これあ人が集まらんだろう、と思っていたら、案の定。応募があったのは一社から一人だけ。予定では3人催行。とりあえず、送られてきたパスポートのデータを見せられたが、MIYA KOUSEI と書いてある。はて、何処かで聞いた名前だぞ。などと思って、家に帰ってビールなんぞを飲んでいると、ふと、思い出した。もしかしたらかつてお世話になったNHKラジオロシア語講座のテキストの巻末にエッセイを連載していた方じゃなかろうか。

しかし、一人じゃあこの企画は中止になってしまうんじゃなかろうか。やれやれ。などと酔った頭で考えながら経つこと数日、かかってきましたよ電話が。

で、会社に行って見ると、こんな感じ。

「まあ聞いてくれ。今回、日本からの参加が一社だけなのは具合が悪い。ついてはお前も旅行会社の人間と言うことにしておいた。通訳は別に雇ったので、行ったら好きにしてくれていいから。写真を撮ったりしてくれればいいんだ」

 なんて良い話なんでしょう。つまり、交通費、ホテル代、食費など全て出すから遊びに行ってくれ。と云うわけだ。しかも何の義務もなく。旅行社の人間なら旅程やホテルやレストラン、エクスカーションの内容などを仔細にチェック。夜も遅くまであれこれとレポートを作り、毎朝眼の下には隈。その上、日々是、周囲への気使いを絶やさずにいるものだから、日本に帰ってレポートを提出した後、過労死。カメラマンならいかによい写真を撮るか苦心惨憺。空港では立ち入り禁止箇所に飛び込み、拘引。ようやく引き取られてきてツンドラ地帯に潜入したはいいが、走行中、いい景色があるとすぐに車を止めろとワメキ、あげく、皆が車に乗り込んでいるのに撮影に熱中し、置き去り。あわれツンドラの土と化し、通訳は日本の親父ギャグの通訳を強制され、日本人には笑えないロシアのアネクドートの通訳をさせられ、頭が沸騰している所に注がれるままにウォッカを飲んで発狂、あわれチュコトの病院に幽閉さる。などなど、みな、大人は大変であるはずなのに、このぼくは、あら、お花が!などと云っては花を摘み、あら、美味しそうなベリーだわ!と云っては赤い実、黒い実をほうばって、ちょっとお写真でもとろうかしら、と、いそいそカメラを取り出し、傍らの人に「ちょっと、あのトナカイの白骨をバックにしてとって下さる?ここを押すだけでいいから」なんぞとのたまい、にこにこ笑って写真に写っていればよいのだ。こんないい話なのだが。しかし。通訳でないとするとギャラは一体どうなるのだろう。日本からの参加者はハバロフスク、日本の往復は自費で、後のチュコトではたばこ銭、お土産代以外は無料。の条件で来るわけで、ギャラが発生する余地がない。なぜなら彼らは日本の代理店の社員であり、仕事の一環として来るのだから、彼らは給料の内で仕事をしているのであり、彼らの給料を払っているのは日本の旅行会社なのだから。誰かがぼくにギャラを出す理由が無くなったのだ。ええい、ままよ、ぱぱよ。ただで遊べるなら一切文句もないわけだ。行きましょうとも、ええ、行かして貰いますよ。こんな事でもないと行ける所でなし。

 

 またまた待つこと数週間。何時になったらチュコトへ行くんだ!とのお叱りの向きもありましょうが、ぼくだってまだまだ半信半疑、ドタキャンありのこの国ではまだまだ油断は禁物、日々これ雑用にかまけながらもチュコト行きを願っていたら、もう八月十日、金曜日。十六日に出発予定なんだが連絡がないので他の用足しのついでに会社に寄って見ると、チケットはもう取れているから心配ない。日本から、みやさんは月曜に来る。と云うので一安心。ビールを飲んで就寝。

 

 もういい加減にチュコトに行くだろうと思うでしょうが、まだ行かない。

八月十五日。夕方、僕の家に泊まっていた友人がウラン‐ウデに出発したので、駅までお見送り。の時まで、月曜の夜から二人で飲んでいたので二日酔い。(ちなみにこの日は水曜日)夜十一時四十分に新潟から到着の便で知り合いのロシア人が帰ってくるのでお出迎え。に行ってみると、なんてこったい!飛行機が遅れて到着は深夜二時!まだチュコト行きの荷物も作ってないのに。朝の六時半にはぼくのお迎えが来るのに。家に帰ったのが三時近く。荷物を作り、寒い所だそうだからセーターやジャンパーも入れたりして。もう四時近く。風呂から出たのが五時も回った頃。寝てる時間なんてあったもんじゃない。なにくそ、飛行機で寝てやればいいのだ。アントノフ24のプロペラの響きを子守唄にしてぐーぐー寝てやる。おまけによだれもたらしてやれ。などと力みかえり、さらに遠足の前の子供症候群にも罹っていたらしく、眠気ゼロ。な所に電話がかかってきた。お迎えが来たのだ。荷物を持って外に出るとまだ薄暗く肌寒い。これからやっとチュコトに出かけるのだ、と思って寒気と共にちょっと身震い武者震い。

 

アムールホテルに寄ってみやさんを乗せてからやってきた空港は新装なった国内線ターミナル。きれいになったし、以前のように全ての荷物を自ら飛行機まで運ばなくてもよくなって快適だ。搭乗ロビーも広く、明るく、しかも空港使用料がかからない。国際線では九百ルーブルも取るくせにせせこましくこれといったサービスも無いのは一体どういう事なのだろうか。あんな空港ターミナルで邦貨約四千数百円も取るなどという暴挙が許される物なのだろうか。猛省をうながしたいものだ。などと考えつつ、コーヒーブレイク。(最近は安くなって、しかもチケット発券時に運賃と共に払ってしまうので、あくまで、当時の感想です)これから出発する我々は、ハバロフスクの旅行会社、ボストークアビアジェーリ社長、といってもまだ若いビタリー、通訳のオルロフさん、のロシア人チームと、ぼくとみやこうせいさんの日本人チームの計四人。なんでビタリーは名前で、オルロフさんが苗字かと云うと、ビタリーと話す時はロシア語だからロシア式に名前で、オルロフさんと話す時は日本語だから日本式に苗字にさん付けなのだ。

みやさんはロシア中、他にもヨーロッパ各地を歩いているそうだが、ハバロフスクに来たのはずいぶん久しぶりで、街がとてもきれいになったと感心していた。自分の住んでいる街を褒められるのは悪い気がしないものだが、これから向かうチュコト自治管区の州都、アナーディルという所は一体どういった所なのだろうか。遥かカムチャッカ半島を越えた、アジア大陸の東の果て(ユーラシアとはあえて云わない。なぜならこの大陸でヨーロッパが占めている面積など何ほどの物でもないのだから。それをユーラシアなどとはおこがましい。これから向かうチュコトが東の果てのファーイーストならポルトガル、イギリスなんぞは西の果て、ファーウエストだぜ。ちくしょう!)、ほぼ北極圏、といった事しか知らないのだから想像も付かない。アナーディル湾に面している湊街らしいから、海では鯨が潮を吹き、海岸にはトドやセイウチ、オットセイやアザラシが群れ集い、街ではトナカイが草を食み、白熊が鮭を担いで我が物顔でかっぽしているのだろうか。などと馬鹿なことを考えているうちに搭乗の時間になって、どうもアナーディル便に乗るらしい人達がぞろぞろ動き出した。いやに多いじゃないか。アナーディルに飛ぶアントノフ24は立ち乗りあり、吊革つきなのか。と思ったら結局はロシア名物Tu154Mでした。会社からもらって翻訳した予定表にはアントノフって書いてあったんだけど。まあ、細かいことはどうでもいいけど。といってずんずん乗り込んだ。機内アナウンスもアナーディルって云ってるし、シートベルトを締めていよいよ地の果てまでの旅立ちだ。

 

 

 さて、アナーディルに着く前に基本的な情報をお伝えしましょう。

 世界地図があれば見て頂きたいのですが、チュコト自治管区というのはロシア極東管区に所属する行政区分の中でも最極東に位置し、半島内に子午線が位置するため地図上の日付け変更線は、ベーリング海峡上に迂回しているはずです。

 つまり、世界で一番早く日の出ずる大地、であるわけです。

 戦後の奇跡的な経済成長をして世界に名を轟かせ、日の出ずる国、奇跡の国、まじめ人間ぎゃーとるず。と云われた我が国より二時間も早く朝を迎えるのです。

 即ち、アラスカのぼんくらアメリカ人が「明日はおおみそかだっぺ。さあ、寝よ寝よ」などととぼけたことを云っているその時に、日本の皆様が、紅白歌合戦を見ながら「そろそろ年越しそばかしら」なんぞと云っているその時に、チュコト半島では既にプーチン大統領が新年の挨拶を済ませ、はやチュコトの住民はおとそで頬を赤く染めていると云う手際よさ。まあ、一番早いから何かえらいのか。と尋ねられば「さあ……」としか答えられませんが。

 しかし、二十一世紀を世界でいち早く向かえたのもこの地域の人々だった訳です。(一部、南太平洋の島々もそうだとは思いますが)

 しかも、そこは地の果て辺境の地、ハバロフスクから北東に3598km、最低気温はマイナス三十に届くぐらいとは云いますから、我々ハバロフスクの住民としては驚くに値しないような気がしないでもないですが。しかし。だがしかし。真冬に吹き荒れる強風のその下に、鎮座まします大地は永久凍土、ツンドラ地帯。今回、いかに夏場のチュコト訪問とは云えどのような出来事が我々を待ち受けているのでしょうか。

 

などと言っているうちに我々を乗せたTU-154はアナーディル空港に着陸すべく姿勢を整えていたのであった。

上空からちらと見た限りでは滑走路も短い、貧弱な空港である。

 

結局、ぼくはみやさんとぽつぽつ話していたのでよだれをたらす事も叶わず、というより、やはり、遠足子供症候群に侵されていたらしく、寝ることは叶わなかったし、六時間の飛行、は、あくまでプロペラ機であるアントノフの予定であり、ジェットのTU154は、四時間で我々をアナーディルへといざなったのだった。機内食は鮭でした。

しかし、着陸して見るとどうだい。

空港はま新しく、ターミナルビルから飛行機に直接接続する蛇腹の廊下、何と云うのか知らないが、を備え。しかし、我々はタラップで降りたけどね。

規模は小さいながらも近代的な空港であったのだ。ハバロフスクよりも。

しかも、ボーイング機もあったんだよ。後に明らかになったのだが、モスクワとは夏季、週三便もの接続があり、その機体がモスクワから飛んできた機体であったのだ。ビバ、アブラモビッチ!かな?  

せせこまし感は否めなかったけども、どうも、イメージが違う。きれい過ぎるし、何だか地の果てのイメージが湧かない。ターミナルは木造かなんかのバラックの屋根に針金張りの角型パラボラアンテナ、滑走路は砂利、石炭ガラみたいなイメージだったんで。

かてて加えて、預かり荷物を待っている時に、なんと、携帯電話が鳴ってしまったのだ!こんな地の果てで、ハバロフスクで入手した携帯が使えるとは!数年前まで、ウラジオストクでですら使えなかったのに。つまり、日本とも直通電話が出来るというわけだ。

でもやはり、ここは地の果て、最極東ロシア。荷物の載ったターンテーブルは、3〜4回転しただけで止まってしまった。ぼくの荷物は出てきたからいいが、残るメンバーの荷物は出てこない。時間も時間なので、シエスタでもしているのじゃないかと言うぐらい長々と待たされて後、やっとターンテーブルはターンを開始したのだった。

荷物を持って外に出た時に、駐機場をながめると、《チュコタビア》と書かれた機体のアントノフ24や、その貨物バージョン(機体のコードは忘れました)、ロシアでおなじみ大型ヘリのミル8っちん。などは、年季が入っていて、搭乗するだけでも充分スリリングであろう事は想像に難くなく、想像しただけではなく、実際、後に搭乗してしまうのだが、それはまた、後の話。

                                   

            


            

                  
 

☆山下雅司さんの小説「時空の旅人」☆ 〜連載・第12回☆


                    


         


    


                    





                     

(続く)


☆新聞拾い読み☆

初笑い・アネクドート(ロシヤの小噺)

ロシヤで昔から庶民のあいだで根強い人気を博していて新聞などにもよく掲載されているお馴染みの一口噺「アネクドート」。政治風刺からエロティシズムまで内容もさまざまで、ユーモアのなかに汲めども尽きせぬ庶民の哀歓がにじみでていますよね。お正月をテーマにしたものにこんなのがありました。

◎「新年になにをきみにプレゼントしてあげようか?」「まあすてき、そうねえ、なにがいいかしら・・・ 。」「よしそれじゃ、もう1年考えさせてあげるね」

◎ある男性が妻への新年のプレゼントを買いに店に入り、売り子さんにこう言います。「ちょっとこれ見せてください、いまいちだなあ、こっちは高いし、これじゃ安いし・・・ 。あの、たとえばあなたがぼくの奥さんだとしたら、なにが欲しいですか?」「べつの旦那!」

◎「酒と煙草の害についてこれまでたくさん読んできたから、今年からやめることにしたよ」「ほう、で、どっちを。酒それとも煙草?」「いやあ、読むのをさ」

◎「妻と夫のやりとり。なんで朝の5時なんかに帰ってくるのよ?/ほかにどこへ行けるかい朝の5時に?」

◎一年でいちばん短い日は11日、そのこころは、目が覚めると窓の外はもう暗い。(新聞「論拠と事実」)

 

サンタクロースとマローズお爺さんの10の違い

@サンタクロースは、プレゼントの入った袋を持ち、ときにはクリスマスツリーもしくは鈴を手にしています。マローズお爺さんは、プレゼントの入った袋と魔法の杖を手にしています。

Aサンタクロースは、房飾りのついたキャップをかぶっています。マローズお爺さんは、貴族の帽子をかぶっています。

Bサンタクロースは、丸眼鏡をかけています。マローズお爺さんは、視力が抜群です。

Cサンタクロースは、ビリヤード用のような薄手の白い手袋をはめています。マローズお爺さんは、刺繍で飾られたミトンの手袋をはめています。

Dサンタクロースは、おおきなバックルのついた幅広の革のベルトをしめています。マローズお爺さんは、たいてい繻子の幅広の腰帯をしめています。

Eサンタクロースは、ズボンの端を黒い革のブーツに押しこんでいます。マローズお爺さんは、山羊革の長靴かヴァーレンキ(フェルト製の長靴)を履いています。

Fサンタクロースは、ボタン留めの短い胴着を着ています。マローズお爺さんは、不思議な模様の刺繍で飾られた丈の長い派手な毛皮の外套を着ています。

Gサンタクロースは、暖炉の棚に吊るされた靴下にプレゼントを入れ、家のなかには暖炉の煙突を通って入ってきます。マローズお爺さんは、新年祭のツリーのしたにプレゼントを隠し、ちいさな子供たちが3度その名を呼ぶと姿を現します。

Hサンタクロースは、トナカイに乗って移動します。マローズお爺さんは、三頭立ての馬橇トローイカに乗ります。

Iサンタクロースには、夫人がいます。けれども、ほとんどだれも彼女を見たことがありません。マローズお爺さんには、可愛い孫、雪娘がいます。(20061228イズヴェースチヤ)

 

もしもこれについてリュシエーン・オリヴィエーが知っていたなら

 真のロシヤのお正月とは? シャムパン、みかん、魚のグラタン(できれば特製の)、そして、サラダ『オリヴィエー』。私たちにとって、オリヴィエーのない祝日は、祝日ではありません。フランス人のコックさんの名前のついたこのサラダは、またの名を、『冬の』、『都の』、『ロシヤの』、『伝統的な』、『肉の』サラダとも。歴史家たちによれば、このサラダが生まれて今年で147年ということです。モスクヴァの居酒屋『エルミタージュ』で、じぶんの有名な料理『野鳥のマヨネーズ』、コルニション(ピクルス用の若いキュウリ)入りの馬鈴薯サラダ、料理を飾る固ゆで卵を、酔っ払った客たちが、一緒くたに混ぜるのを見るに見かねた有名なフランス人のコックさんリュシエーン・オリヴィエーさんが、じぶんで最初から混ぜることにしたのが、事の始まりとか。こうして、各家庭ですっかりお馴染みとなった私たちのおそらくはメインのサラダが誕生したのでした。もっとも、エゾライチョウ、ゆでたザリガニ、子牛のタン、圧縮イクラ、卵、サラダ菜、キュウリ、あまり知られていないケイパー(酢漬けにしたフウチョウボクの花のつぼみ)やピクルスなどでこれを作る人はあまりいません。けれどもいったいどのようにこの『ブルジョアの』料理が基本的なソヴェートのサラダに変わったのでしょうか? それは、おそらく、なぞのままでしょう。ただ、1930年代に、かつてオリヴィエーの助手だったイヴァーン・イヴァノーフというコックさんが、この有名なサラダをプロレタリアートの現実に合わせて、つまり、エゾライチョウと子牛のタンをコルホーズの鶏に変えて、そのレシピを復活させたことは、知られています。そして、前菜の民主化のさらなるプロセスは、独自の道を歩み、農業の著しい発展の時期に、ソ連人の夢であったゆでたソーセージが鶏に取って代わりました。そして、塩漬けキュウリは、私たちの民族的アイデア。この曲がりくねった道の半ばあたりで、『オリヴィエー・都・肉』サラダに、ジャガイモが、しっかりと仲間入りしたのでした。ダーリヤ・ウラーノヴァ記者(20071229太平洋の星)

 

(※余談ですが、先日、鴎外の娘、森茉莉さんの『私の美の世界』所収の『卵料理』のなかでこんな「ロシア・サラダ」のレシピに出合いました。「馬鈴薯とにんじんを小さい賽の目に切ってゆで、青豆を罐から出し、玉ねぎを刻み(これは生のまま)白身の魚をゆでて皮をとり除いてむしり卵は固ゆでにして荒く刻む。以上をサラダ・ドレッシングであえるのだが、上等のオリイブ油でないなら酢だけでもおいしい。私はこのごろは酢だけのほうが好きになっている。上品にすれば鯛かひらめ、えびもいいだろうが、ほんとうはさばか、あじのほうが、ロシアの田舎料理らしくておいしい。ビイルとよく合う。」。なんとなく上述のロシヤのお正月の定番料理「サラダ・オリヴィエー」が連想されます。ちなみに、この本には「人民芸術家と熊」というボリショーイ・サーカスについての味わい深い一文も収められていました。


ハバーロフスク地方フィルハーモニー・コンサートホール(シェフチェーンコ通り7)の1月の公演案内より

1/13(日)18:30】極東交響楽団『旧正月』/A.ピアソラ・タンゴ『ブエノスアイレスの四季』、P.I.チャイコーフスキイ・バレエ『くるみ割り人形』より/芸術監督&指揮:イリヤー・ヂェルビーロフ]

1/19(土)11:00, 15:00】定期鑑賞券14『エチケットについて』/『交際の方法・手紙』/プログラムの作者&監督:マリーナ・クンツェーヴィチ

1/19(土)18:30】定期鑑賞券10『家族みんなでコンサートホールへ』/『騒がしい舞踏会のなかで』/J.シュトラウス、V.A.モーツァルト、P.I.チャイコーフスキイ、S.V.ラフマーニノフなど、ポピュラーな作曲家たちの作品/独唱:ヴァレーリイ・トカチョーフ(バリトン)、ピアノパート:ヴァシーリイ・ザハーロフ

1/20(日)18:30】声楽の夕べ/ロシヤおよび外国の作曲家たちのアリアと歌曲/独唱:国際コンクール入賞者でサンクト・ペチェルブールグ音楽院生のアナスタシーヤ・キーコチ(ソプラノ)、ピアノパート:国際コンクール入賞者のオーリガ・アンドルセーンコ

1/25(金)18:30】ピアノ音楽の夕べ/A.N.スクリャービン・ソナタ第10番作品70、詩曲『炎に向かって』作品72E.グリーグ・組曲『ホルベアの時代より』、F.ショパン・ソナタ第3番ロ短調作品58/独奏:タネル・イオアメツ(エストニヤ)

1/26(土)18:30】極東交響楽団/J.シベリウス・交響曲第2番ニ長調作品43V.A.モーツァルト・ピアノ協奏曲/独奏:タネル・イオアメツ(エストニヤ)、芸術監督&指揮:イリヤー・ヂェルビーロフ

1/27(日)18:30】定期鑑賞券1『オルガン音楽の夕べ』/J.S.バッハ・前奏曲とフーガ ホ短調、V.A.モーツァルト・アンダンテ ヘ長調、R.シューマン・『予言鳥』(ピアノ曲集『森の情景』作品82より。編曲:T.ピュルホネン)、Z.コダーイ・エピグラム2,3,5L.ヴィエルヌ・Requiem Aetemam(『幻想的小品集』より)、И.Штрохофер3つのオルガンコラール、А.Кёнконен・エレジー/独奏:トマス・ピュルホネン(フィンランド)

1/30(水)18:30】コンサート・アンサムブル『ダーリニイ・ヴォストーク(極東)』/『みんなが愛する歌たち』

(※チケットの有無などの問合せの電話番号は、31-63-68(コンサートホールのチケット売場)、32-89-51です。チケット販売所:フィルハーモニーコンサートホール、映画館『ギガーント』、音楽喜劇場、ドラマ劇場、ショッピングセンター『クリスタル』(工場『スプラーフ』)、ショッピングセンター『アトル』(ボリシャーヤ通り)。)

ハバーロフスク地方フィルハーモニーのサイトです。http://www.filarmonia.khvs.ru 


☆おすすめサイト☆

◎ハバーロフスクとアムール河の流氷で結ばれる北海道紋別の北海道立オホーツク流氷科学センター所長“流氷遊び人”こと青田昌秋さんが綴るユーモアと詩情そしてロシヤへの愛情にあふれた心温まるページです。凍てついたアムール河口 などのすてきな写真も掲載されています。

Okhotsk流氷つれづれ草 』 http://giza-ryuhyo.com/directorsdiary/diary.html

『六花』のバックナムバーが読めます。 http://hisgan.fc2web.com

 

ラヂオの冬季周波数

NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・新周波数表20071028日〜2008330

◎ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・新周波数表(20071028日〜2008329

日本時間 21.00-22.00  中波 630 720  短波 5920 6180kHz

日本時間 22.00-23.00  中波 630 720  短波 5920 6005 6180kHz

(受信環境によってラヂオによる聴取が困難な場合がございます。)

*HPアドレス http://www.ruvr.ru (日本語直通 http://www.ruvr.ru/index.php?lng=jap

*リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www.geocities.jp/pechika041029/


(上記のサイトでインターネット放送(リアルオーディオ&オンデマンド)をお聴きいただけます。)


*ハバーロフスク支局では番組『シベリヤ銀河ステーション』のコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46 / 岡田)

 

【編集後記】次号の原稿の締切りは、20073月末日です。趣味のお話し、イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイ、旅の思い出など、お気軽に編集担当(岡田)までお寄せください。職場32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru)。

 


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