六花(РИККА)秋(24)号
ハバロフスク日本人会会報     りっか 六花 рикка         2007秋・Vol.24
                   

☆秋の墓参会☆

 106日土曜日、雲ひとつない晴天のもと、日本人墓地で毎秋恒例の墓参会が催されました。40名ほどの方が参加され、たくさんあった落ち葉もみなさまのご協力のおかげで見る間に姿を消しました。献花と黙祷、当会名誉会長の貝谷総領事のご挨拶ののち、サイダーやビール、みなさまが差し入れてくださった厚焼き玉子、胡瓜の浅漬け、おむすびなどを美味しくいただきながら和やかな歓談のひとときをご一緒させていただきました。ぽかぽか陽気のやわらかな日差しのなかで仲良く遊ぶお子様たちの光景がとても微笑ましく美しく思えました。飲み物やおつまみ、トラックや用具のご手配など、開催にご尽力くださいましたみなさま、そして、ご参加くださったみなさま、まことにありがとうございました。今回ご参加できませんでしたみなさま、次回の行事でぜひご一緒いたしましょう。

 

※日本人墓地といいますと、2004年秋発行の『六花』Vol.12に下記の記事を掲載させていただいておりました。 

☆日本人抑留者関連地・建物について☆

. 市縁辺部 (空港方面)

平和慰霊公苑 (Мемориальный  Парк  Мира)

 1995年、日本政府が建立する慰霊碑にあわせて、これに隣接する約15000uの敷地に太平洋戦争戦没者慰霊協会が慰霊公苑を建設し、ハバロフスク市に寄贈しました。この地には、以前、日本人が埋葬されており、その碑も左手の草むらの中に残されています。
 ポタポワさんは、慰霊碑設計者の話として、この地で亡くなられた方達との「対話の仕方」を教えてくれました。赤煉瓦造りの慰霊碑の真ん中に立って(ど真ん中でなければならない由)、亡くなられた方達に伝えたいことを思って、天に向かって手を差し伸べ、頭の上で大きく1つ手を叩いてみて下さい。その音に応えて、天から音が降ってくるように反響音が響きます。

日本人墓地 (Японское кладбище)

 カール・マルクス通りを空港へ向かう途中にある市営墓地の一角に日本人墓地があります (コムソモール広場からカール・マルクス通りを通って空港まで運行されているトロリーバスNo.1Питомник停留所が墓地の前にあります)。1945年10月に作られたこの墓地には、日本人抑留者316名が葬られています。

 

※ちなみに、中央郵便局などで売られている横長の風景カードセット『Sightseeing in Khabarovsk / ПАМЯТНЫЕ МЕСТА ХАБАРОВСКА』に平和慰霊公苑のカードが収められています。

 

※なお、前号に掲載いたしました下記の資料によりますと、ハバロフスク墓地の埋葬人数は310名となっています。

 http://yokuryu.huu.cc/ シベリヤ抑留者名簿作成者・村山常雄さんtmura@nou.ne.jp

【本棚】村山常雄(平成18年度吉川英治文化賞受賞者)編著『シベリヤに逝きし人々を刻す』(ソ連抑留中死亡者名簿、約46,300名を収録。弊放送局のリスナーの方がお送りくださった2007920日付『日本経済新聞』に掲載されたご本人の写真入の記事によりますと、この本はプロスパー企画社から7月に自費出版されたとのことです。)

 

※昨年の本紙秋号では、日本人墓地の入口を入って左手の一番奥のほうに眠っておられる山本幡男さんの在りし日のことが綴られている本のことに触れて、辺見じゅん著『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文藝春秋、1989年刊)を、102日、日本センターの図書室、入って右手の縦長の書棚の中段(フレデリック・フォーサイス著『イコン』上・下の隣)で目にしました。目次には、プロローグ/1章 ウラルの日本人俘虜/2章 赤い寒波 マロース/3章 アムール句会/4章 祖国からの手紙/5章 シベリアの「海鳴り」/エピローグ/あとがき 三十三年目に届いた遺書、とありました。」と記させていただきましたが、先日、久しぶりに日本センターの図書室を訪れますと、この一年で蔵書がかなり増えたような印象を覚えました。和書をすみずみまで見せていただき、坂本龍彦編著『シベリア虜囚半世紀/民間人 蜂谷弥三郎の記録』(恒文社)という本をお借りしてきましたが、その本に収められている「チェリョームハの花咲く下で」という文章(167-171ページ)に、当地日本人墓地とそこにお墓のある吉田明男さんのことが記されていました。先日、日本センターの図書室の書棚のいちばん左端の下段にこの本を返却いたしました。

 

※また、半年ほどまえにこんな新聞記事を目にしました。

サーシャ侍おじさん

共和国カルムィーキヤの町ユージヌイには85歳の日本人ナカガワヨシテルさんが住んでいます。ナカガワさんは、元の日本軍の将校、特攻隊員です。アメリカおよびソ連と戦い、1944年捕虜となり、スターリンの収容所で森林伐採に従事させられ、1949年に釈放されました。けれども、ナカガワさんは、祖国に戻りませんでした。生き残ったことを恥辱とみなしていたのでした。ナカガワさんは切腹しましたが、ロシヤの外科医がその命を救いました。ナカガワさんは、ロシヤにとどまり、結婚しました。地元の村でナカガワさんは、サーシャおじさんそして侍と呼ばれています。最近、侍は、日本大使館の招きで祖国を訪れ、姉妹たちと対面しました。けれども、またユージヌイ町に戻りました。(20070220イズヴェースチヤ)

12回極東・東シベリア日本語弁論大会

 さて、墓参会の前週の金曜日には、極東国立人文大学の講堂で、第12回極東・東シベリヤ日本語弁論大会が催されました。各地区の大会で優秀な成績をおさめた14名の学生さんのお話しは、あらためて日本語の美しさを感じさせてくれるとともに、お住まいの地方ならではの風光や若者気質に触れさせていただけるものでした。そして、極東外国語大学(ハバーロフスク)、極東国立大学(ヴラヂヴォストーク)、サハリーン国立総合大学(ユージノ・サハリーンスク)(2名)、カムチャートカ国立大学(ペトロパーヴロフスク・カムチャーツキイ)の上位5名には、1027日にモスクヴァで開催される第20回ロシヤ・CIS学生日本語弁論大会に出場する資格が与えられました。ちなみに、昨年10月にモスクヴァで開催された19回ロシヤ・CIS学生日本語弁論大会では、ウズベキスターンのフェルガナー大生のムミノフ・アスロルさんが『白いカラス』というタイトルのスピーチで優勝されたそうです。露和辞典を見ますと、“白いカラスбелая ворона”は、“ひときわ変わった人、異色の人物”などとありました。

☆地元の学生さんたちのスピーチ☆ 〜連載・第9回〜

(今号より2006年の第7回ハバロフスク日本語弁論大会で入賞された方の弁論を掲載させていただきます。今回は、スピーチの部1位の方のお話しです。なお、所属および学年は、20064月当時のものです。)

  ハバロフスク国立経済法律アカデミー4年生

ゴルシコフ・ビクトル

青春・アミーゴ? Дружба с молодостью

皆さんは人生について考えたことが在りますか。人生は階段のような物だと思います。私達は一所懸命頑張って、この階段を登りながら生活をしています。この階段の一段目は誕生ですが、二段目から人によって違うはずです。なぜかというと、理由は単純です。私達は自分の計画や人生の夢を実現させるために自分に関係ない階段を飛び越えているからです。

最近、友達にあなたにとって青春は何かと聞かれました。私自身、青春は人生の階段の一つだとちゃんと理解しているのに、青春のこと等あまり考えもしなかったので、すぐ返事ができなくて、黙り込むしか在りませんでした。それから私にとって青春は何だろうかと考えるようになりました。

これから私が考える青春についてお話ししたいと思います。まず、青春は人々の一番輝いていて、永遠に忘れられない時代だというのは周知の事実でしょう。若い時、一目見て恋に落ちたという感情や失望の気持ち等を経験しまから、青春は愛が現われる時期ではないでしょうか。

次に、青春は夢の時期だと思います。人は皆、夢が在りますが、特に若者は、色々なことを頭の中で考え、理想的な将来を描いて、自分の夢はきっと全部実現させられるということを信じています。時々できないことが分かっても、信じ続けますが、自分の夢が崩れ始めた時、信じることより、あきらめないで頑張ってやろうという気持ちの方がもっと大切だということが分かるようになります。

そして、青春は試練の時ではないでしょうか。とにかく、遅かれ早かれ若者は皆失敗は成功の元という言葉の意味を実感します。

本当に色々な人に青春の事を聞いてみましたが、やっと私を含めて多くの人にとって、青春は学生時代と深い関係が在るのではないかという結論が出ました。私にとって、学生時代は一番貴重で、永遠に心の中に残る思い出です。学生の時、色々な人と付き合ったり、楽しい時間を過ごしたりするだけではなくて、学生時代は大人になる前の一歩です。周りで早く大人になりたいと思っている人をよく目にします。私もこの前までは早く大人のような生活をしたいと思っていましたが、今は違います。アカデミーに入って、いつの間にかもう4年生になりました。時の経つのは本当に早いものです。でも振り返ってみると、この4年間は私の人生で一番良い時期ではないだろうかと思います。私は日本語クラスの4年生の皆が大好きで、出会えて良かったと本当に思っています。彼らはいつも私を精神的に助けてくれて、そばに居るだけで幸せな気持ちになります。私の考えでは青春のメリットの一つは若い時、良い友達ができやすいことです。これからも学生時代のような有意義な時間を過ごしていきたいです。

この間、日本語の先生に貸していただいたドラマを見ながら、修二と明の青春・アミーゴという歌を聞いて、また友達に聞かれた質問を思い出しました。この歌はどんな気持ちや意味を伝えたいのだろうかと考えてみたところ、青春は人生の一ページだけでなく、友達のようなものではないかという結論に至りました。青春というのは体が元気だとか考え方が未熟だということを意味するだけではなく、心が若いとか何歳になっても意気揚々としているという意味も在ります。つまり、青春は体の美しさと同時に心の美しさでも在ります。ですから、もしもう一度友達から同じような質問を受けたら、私は歌のタイトルと同じく青春はアミーゴ、つまり友達だと答えるでしょう。青春は友達のように、私達にとって一番貴重なものです。友達から色々な経験やアドバイスなどを得るのと同時に青春も私達を導いてくれます。特に青春のころは色々な失敗しますが、それによって、私達は成長していきます。そして、若い時は、何でもできるという自信がとても強いですが、年をとってもこの自信をなくしてはいけません。未来を作っていくのは若者だそうですから、青春をもっと長くした方が良いのではないでしょうか。

そして、年をとると共に本当に青春とお別れになってしまうのでしょうか?私も、もうすぐ大人になってしまいますが、それはそうじゃ在りません。青春に対してはアディオス、つまりさようならと言ってはいけません。その人自身が心の中で青春を感じていれば青春時代です。とにかく、人生は荒い川のように速く流れていますので、もし永遠に若い人で居たかったら、人生の階段で青春の一歩を飛び越えないで、どうか青春とアミーゴになって、いつも近くに感じていてください。


☆鈴木宣平さんからのお便り☆


その風貌から「京都の呉服屋の若旦那」と親しまれた元ハバロフスク総領事の楠本さんがハバロフスクを離任後ウズベキスタン大使を経てこの度東京本省に帰任なされましたので、ハバロフスク在任当時の館員や在留民間人を呼んでくださり、830日の夕べ楠本令夫人も出席していただいてJR東京駅駅前で簡単な飲み会が行われました。懐かしい思い出を談笑し、時を忘れました。楠本さんは現在は威風堂々、外務省の「儀典長」をお勤めになっておられます。
主なお仕事は:1.皇室の外国ご訪問のアレンジ。2.外国からの賓客(国賓−天皇陛下のお客様、公賓−総理大臣のお客様)のアレンジ。3.143人の在日各国大使の応対。4.外国人への叙勲 だそうです。

           

 第弐章 時空の旅

 

其之         

  

 木々の緑にはまだ変化は見られないが、空に昇る太陽の位置から、季節の移り変わりが始まっている事が判る。そうしてみると心なしか、太陽の光にも真夏の鮮烈さは失われている。少しずつ季節は移り過ぎて時の流れを感じる。

 ここでの原始的な生活も、半月余りも経過しただろうか?             

 高木は不自由に感じられるが、自然と共に生きる生活様式が、案外、自分の性に合っている事を感じ取っていた。確かに労働は過酷で厳しい物だが、誰に強制される訳でも無く、誰の為でも無く自分の為であり、それがここでは生きて行く為に必要不可欠な事であると知ったからであった。

 肉体の疲労は夜寝ることで癒される。人間関係や精神的なわずらわしさは、ここでは皆無だった。精神的なストレスが無いと言う生き方が、こんなにも幸せに満ちた日常を送れる物であったとは気がつかなかった。

 自分の事で精一杯で、他人の事など気にしていられないと言うのが実状だったが、心の余裕は感じる事が出来た。

 杉浦とは会おうと思えば何時でも会えるのだが、余り頻繁に会う事は無い。

 お互いに自立できる様に別々の小屋で暮らしている。

 ここでの暮らしが新鮮に感じられるのか、芸術家だけに杉浦は必要な物は自分で作ると言う環境に、うまく順応して暮らしている様だ。

 時々、夜には焚火を囲み話し合う事はある。初めのうちはどうしたら元の世界に戻れるか、と言う事がよく話し合われたが、無駄だと悟り、

「取り敢えず、ここの人々と一緒に暮らすのが、一番無難のようですね」

 と、言う杉浦の言葉が結論だった。

 それ以後、自然と戻る帰ると言う会話は交わされなくなり、いかにして生きるかと言う現実的な話が多くなって行った。

 

 原始的な生活をしていても、楽しみは無い訳ではない。

 今夜はその楽しみの一つでもある、集落の語り部による、一人の長老の話が集落の中心にある円い広場の篝火の回りで話される。いろんな昔から語り継がれた物語を、話してくれる。杉浦もこの話に興味を持ち、二人で楽しみにしている。

 語り部の話しは生きた歴史の言い伝えであり、彼は其の伝承者なのだ。

 篝火の明かりが、白い顎髯を伸ばした皴だらけの顔を照らし出した。

 誰が聞いても良いし、そして自由参加だった。子供達から、老若男女が集まり来て、昔話を聞く。先祖が、父が、母が、一族が辿ってきた悠久の歴史が語られる。

 長老は昔を懐かしむように目を瞑った。

 そして目を開けると、傍らに座る少年に語りかける様に話し始めた。

 むかしむかし、長老が物心着く頃は既に、其の巨大な石柱の列は海岸線まで連なっていたと云う。誰が立てたものか言い伝えもなく、村の最長老も知らなかったと言う。

 其の石の柱は四列に並んでいて、沢山の石が林の様に何処までも、続いていた記憶があると語り部は、子供の頃の思い出を語った。

 栗や林檎がたわわに実り、森には獣も多く生活は豊かであった。人々は幸せな暮らしを営んでいた。ある日、見知らぬ人々が太陽の昇る方角から沢山やって来て、石の柱の北側に住み付いた。やがて豊かな森は枯れ果てて、村領は新しい豊かな土地を求めて旅に出たいと長老に相談した。呪術師が占って予言を伝えた。

「太陽が沈む方角に大きな島があると伝え聞く、雪解けを待ち、石の柱の海岸より海を渡り、其の島を目指せ!」

 と、呪術師は予言した。一族は海辺の入り江で筏を作り、旅立ちの準備をした。

 その頃は語り部も逞しい若者に成長しており、良く覚えていると言う。

 海辺の浜より、丘の向こうに連なる巨石の林から太陽が昇り始めると、村領と呪術師の乗る双同船の筏を先頭に、太陽の沈む西に向かい船出した。

 逆光に浮かび上がる巨石の姿が、船出を見送る沢山の人影にも見えて、今でも巨石の連なりを思い出せると云う。太陽が二回沈む夕暮れに微かに島影が見えたと村領が言った。

 

 夜明け前の、乳白色の薄霧が立込める洋上に、島影が浮かび上がった。

 太陽が昇るにつれ、洋上の霧は嘘のように晴れ渡り、波が砕ける海岸線を映し出した。近付いて見ると海岸は砂浜ではなく、白い岩肌が天を貫く様にそびえ立ち、岩肌の上の方に僅かばかりの緑の芝生が見えていた。

 初めて見る白い岩肌が、横に何処までも広がっていて、それは奇妙に目に焼き付いていると言う。海流に乗り海岸線を半日北上して、やっと入り江が見つかりそこに上陸した。 見渡す限りの草原の大地が広がり、豊かな牧草が潮風にそよいでいた。

「集落の巨大化は、周辺の自然環境破壊に繋がり、集落その物も飲み込んで、滅亡の道を歩むんですね。自然の破壊が、人類を滅ぼすと言う教えは、既に太古の時代にあったと言う事ですね」

 杉浦は長老の話を聞きながら話しかけて来た。

 長老の話しは、新天地の新しい暮らしの様子を語り始めていた。

「地球は広いけど半分以上は海で、残りは陸地と言う事になる。しかし陸地の何処にでも人間が住めるとは言えない。山岳地帯や湿原は定住地には適してい無いし、やはり人々が定住地とする処は限られてくる。一度破壊された自然環境は、元の姿に戻るには百年単位の、時の流れを必要とするのではないだろうか?良い立地条件の処は、自然環境の回復と共に、其の場所に又戻って来たと思われる。遺跡が同じ所で、地層毎に発掘されると言う事が、それを物語っていると思う。未来から来た私達だけが知っている事だけど・・・」「そういえば村領がこの地に集落を築くと決めた時、周囲の自然環境が暮らし易い事を、第一の条件にしていた様でした。呪術師のリストも、あの丘の上に聖所の跡と思われる円形広場があるこの地は、かつて集落があったと思われると言っていた」

 杉浦は当時を思い出しながら、言った。

「時の流れが人々の生活痕跡を消し去っても、聖所の痕跡は残っていたと言うわけだね」 高木は何気なく出てきて言った言葉だが、この言葉は重要な意味を持つ言葉だった。

「海岸線に続く石柱の林の話だけど、私はフランスのブルターニュ地方の、カルナックを想像してしまう。この一族はドーバー海峡を渡り、ブリテン諸島に上陸したガリア人、古代ケルト族系の人々では無いかと思うのだけど、杉浦君はどう思う?」

「ここでの生活様式を見ていると、有史以前の新石器時代の成熟期と言う気がしますね。ヨーロッパ大陸の大河の辺に、広範囲に渡り分布していたと思われる、ケルト族の先祖にあたる人々で、後の世にビーカー族と言われる一族も含めた、古代ケルト族の先祖にあたる部族の人達と私も思いますね」

 杉浦は確信のありそうな言葉で、自信ありげに答えた。

 語り部の話しは朗々と続いている。

 新天地への旅立ちは集落の巨大化に伴う人口増加にあり、それは生きる為の旅立ちだった。良い土地が見つかれば、見晴らしの良い丘の上に聖域と呼ばれる円形の囲いの濠が作られた。一族は何れの部族も、夜が二回開ける以上の遠くには集落を構える事は無かった。一部族二〇〇人前後が集団を作り各地に散らばった。

 漁業を生業とするものは海辺に、放牧を生業とするものは草原の彼方に、狩りをする一族は山野にわけ行った。農業を営むものは河の周辺で家を構えた。土器を作る者は良質の土を求めて旅に出た。

 語り部は既に二度目の旅を経験してこの地にあると言う。

 石の柱の海辺から西に旅立ち、白い壁のこの島に上陸してから、夜空に輝く七つの星を目標に呪術師の予言通り北に旅してきたと言う。

「大雑把に考えて、三五、六年に一度、旅に出て新天地を探して来た様ですね。三〇年で自然環境が変わり、自然復活には百年以上もかかるのか?・・・・・」

 思わずため息とも付かない、杉浦の言葉が発せられた。

 高木は別の事を考えていて、欧州の西海岸の地図を思い浮かべていた。

 語り部の巨石の立つ浜辺は、南西フランスのカルナックの遺跡に違いない。

 其処から陽の沈む方角に旅立ったのだから、白い岩肌の島とは、ブリテン諸島の南西部の海岸地帯だろうと思われる。二昼夜で島影が見えたと言うのもそれで頷ける。

 多分、海流の関係で筏は多少、北西の方角に流されたのだろう。

 現在のブリテン諸島のコンウォール地方から、デボン州かドーセット州の海岸線辺りに上陸して、最初の集落を築き、其処から呪術師の言う通り北上を続けてこの地に至ったとすれば、やはり入り江の上に描かれた地上絵は、アヒントンの白馬だと言う可能性は、非常に高いと言うことになる。

 集落の側を流れる河は、エイボン河と言う可能性は多いにある。

 そうするとこの一帯は、ソールズブリ平原と言う事になる。地上絵から南西方向に、エィブベリの遺跡群とストーンヘンジがあるはずだ。ストーンヘンジは時期が良く判らないので、どの様な形をしているか判らないが、近くにあるはずだ。

 ストーンヘンジは見つから無くとも、エィブベリの遺跡群は必ずあるはずだ。

 あそこにあるウエスト・ケネットのロングバローと言われる墳丘墓は、紀元前三五〇〇頃の物で、約一〇〇〇年もの長い間に渡り利用されたはずだ。もしも、あの地上絵がアヒントンの白馬なら、ここは、ソウルズベリ平原の中の一部と考えられる。

 エィブベリの集落は大きな集落のはずだ。

「杉浦君、マリーンを誘って明日から四〜五日旅に出てみないか?」

「何処に行くんですか?この世界で行って見たい所などあるんですか?」 

 驚いたような顔をして高木を見つめた。

「先程の語り部の物語がヒントになったんだが、一寸確かめたい事が出来たんでね」

  と、答えながら先程の推理を話し、エイベベリにあると言われる、墳丘墓を訪ねてみたいと話した。もしも訪ね当てたら時代と場所が、かなりの確立で判るとも付け加えた。


新聞拾い読み


2008年の休日の振り替えについて


 ロシヤ政府は、2008年の休日の振り替えを承認しました。政府の報道係が伝えているところでは、815日、2007811日付の決定5122008年の休日の振り替えについて》に署名がなされました。決定にしたがい、54日日曜日から52日金曜日に休日が振り替えられます。こうして、人々は、3連休を過ごすことができ、日曜日は出勤することになります。また、612日のロシヤの日の祝賀に関連して67日土曜日から613日金曜日に、114日の民族統一の日の祝賀に関連して111日土曜日から113日月曜日に、それぞれ休日が振り替えられます。なお、今年はあと1回つぎのような休日の振り替えがあります。1229日土曜日から1231日月曜日に休日が振り返られます。                     
20070817太平洋の星&アムール報知


マンホールにご用心!


 2007912日付の地元の新聞『チホオケアーンスカヤ・ズヴェズダー(太平洋の星)』の一面に、ふたの開いたマンホールに落ちたハバーロフスクの女性が亡くなられるというまことに痛ましい出来事について報じる写真入りの記事が掲載されていました。そういえば、ふたが少しあるいはそうとうずれているようなマンホールを見かけることがときどきあるいはしばしばありますので、心しなくてはと思ったことでした。なお、2007927日付の新聞『チホオケアーンスカヤ・ズヴェズダー(太平洋の星)』に掲載された市行政府の担当者の記事によりますと、今回の惨事はマンホールのふたが盗まれた結果起こってしまったとのことです。(編集子)

吸いつかれないために

 ロシヤ消費監督機関ハバーロフスク地方管理局の代表が10月4日ノーヴォスチ通信に明らかにしたところによりますと、危険な疾患であるロシヤダニ媒介脳炎の予防接種がハバーロフスク地方ではじまり、年末までに17000人に接種が行われる予定です。ロシヤ消費監督機関の職員は、「5-7ヶ月の間隔をおいた秋と春の2回の接種は、春の応急の接種よりも効果的です」と語りました。その方の話によりますと、まず第一に、森で働く人やダーチャをもっている人に接種が行われ、毎年、10万人以上の当地方の住民がロシヤダニ媒介脳炎予防接種を受けています。今年、ハバーロフスク地方では、およそ2000人の子供をふくむ5000人以上の人が、ダニに吸いつかれて医療機関の援助を受けました。8人がロシヤダニ媒介脳炎に罹り、そのうち1人は亡くなりました。罹患者は、みな、予防接種を受けていませんでした。ロシヤダニ媒介脳炎は、神経系、支持運動器官、心臓の麻痺および機能停止をもたらしうる危険な疾患です。                            (20071010沿アムール報知


海岸への航空路


 この秋、航空会社『ダリアヴィア』は、地方路線のフライトを拡大しました。地方の空輸の需要の増大、その社会的意義を考慮して、かねてから予定されていた通り、9月10日より、ハバーロフスク⇔ソヴェーツカヤ・ガーヴァニ間のアントーノフ24型機による定期運航が開始されました。これについては、非公開株式会社『ダリアヴィア』のPR担当者、アレクセーイ・ボンダレーンコさんが明らかにしました。フライトは、火、木、金の週三便、ハバーロフスクからの出発時刻は午前9時、飛行時間は1時間15分です。イーゴリ・スマーゲル記者

20070913沿アムール報知

ノーグリキに空港開設


 サハリーン北部の空港≪ノーグリキ≫が活動を開始しました。ロマーン・トゥーチン空港長の話しによりますと、同空港は、当該機関より9月17日に空港を開設することを可能としたすべての必要な文書を得ました。空港長は、≪11月に私たちは航空安全業務に関する証明書を受けることになっており、すべての必要な文書はすでにモスクヴァに送られています≫と語りました。≪インターファックス≫          20070921沿アムール報知

 

日本の方々がじぶんたちの森を調べます


 日本の武蔵野市の代表団が一週間ハバーロフスクに滞在します。団長は『むさしの・多摩・ハバロフスク協会』の田村俊介専務理事で、訪問のおもな目的は日本側の資金で1998年から行われているハバーロフスクの森をよみがえらせる活動の成果を評価することです。9年間に、カラマツおよびチョウセンゴヨウの苗木の購入ならびにハバーロフスクの営林場の専門家たちの労賃のために、日本の方々によって、およそ2000万円、もしくは、ほぼ500万ルーブリが納められました。そして、これは、武蔵野の方々が休暇のさいに自費でヴォローネジに木を植えに来られる(それは5月のはじめにハバーロフスクの学生たちや市役所の人たちも参加して行われるのが慣例となっています)のは勘定に入れないで、です。田村さんのお話しによりますと、代表団は営林場の専門家たちとともに、木々の育ちぐあいを調べ、その本数を確認し、区画に印をほどこすということです。数日間でこなすにはたいへんな作業です。武蔵野の方々のお金でヴォローネジには25ヘクタールを超える土地に3500本以上の木が植えられたのですから。

マリーヤ・シチーノヴァ記者(20071017-23論拠と事実42極東版)

 

※ちなみに、2007年10月10日に初版が出版されました、むさしの・多摩・ハバロフスク協会編『シベリア大自然/知られざる山河とタイガの植林』(東京新聞出版局)には、「友好の森を研究したい日本の青年」として当会会員で太平洋国立大学・極東森林技術研究所・修士課程在学の小林亮介さんのことが紹介されており(108ページ)、小林さんご本人も「ハバロフスクで森づくりを学ぶ」という心温まるすてきな文章(124ページ)を寄稿されています。お読みになりたい方、岡田までご一報願います。


極東交響楽団の新しい首席指揮者

  920日、ハバーロフスク地方のアレクサーンドル・フェドーソフ文化相が、極東交響楽団に新しい指揮者イリヤー・ヂェルビーロフさんを紹介しました。ロシヤ人民芸術家で極東交響楽団の芸術監督&首席指揮者であったヴィークトル・ジグフリードヴィチ・チーツさんの突然の逝去ののち、当地の音楽は大黒柱を失いました。指揮者のいない楽団は活動することができません。指揮者はその人ならではのたぐいまれな職業です。楽団員たちのための芸術監督と指揮者をさがすために、当地方の文化省は、コンクールを実施することにしました。12件のエントリーがあり、6人が出場しました。そして、ペチェルブールグの音楽学校の出身である26歳のイリヤー・ニコラーエヴィチ・ヂェルビローフさんが優勝しました。若き指揮者は、口数少なく、楽団内で培われた伝統を受け継ぎ、≪革命的な≫メソッドに走ることなく、その創作の可能性を伸ばしていきます、と語りました。「キーエフで生まれましたが、7歳からサンクト・ペチェルブールグに住んでいました。音楽には20年たずさわっています。どうしてコンクールで優勝できたか判りませんで、それはじぶんでも意外でした。コンクールのプログラムを一緒に準備してくださった楽団員のみなさまのおかげと思います」。イリヤー・ヂェルビーロフさんは、合唱指揮学部を卒業し、2003年にアカデミー合唱団の指揮者として活動しはじめましたが、2004年に勉学を続けてサンクト・ペチェルブールグ音楽院の交響楽の指揮法を体得しはじめました。極東の楽団員たちと相互理解を見いだしたいと願っていますが、本人はハバーロフスクがすっかり気に入っています。新しい首席指揮者は、930日の子供たちのための極東交響楽団の演奏会で、はじめて聴衆のまえでタクトを振ります。演目は、セルゲーイ・プロコーフィエフの文学音楽作品『ピーターと狼』です。A.グリゴーリエフ記者(20070922太平洋の星


聞のチラシの拾い読み


ハバーロフスク地方フィルハーモニー・コンサートホール(シェフチェーンコ通り7)の11月の公演案内より


11/03 18:30M.I.グリーンカ名称 国立弦楽四重奏団(モスクヴァ市)[ブラームス・弦楽四重奏曲第2番、ドヴォルザーク・ピアノ五重奏曲/イリーナ・アヴラリョーヴァ(ピアノ)]

11/04 18:30極東交響楽団[チャイコーフスキイ・弦楽合奏のためのセレナード、ブラームス・交響曲第4番/イリヤー・ヂェルビーロフ(指揮)]
11/07 18:30文学音楽劇『ボリース・ゴドゥノーフ』(プーシキンの戯曲により)[出演:ヴラヂーミル・ジボエードフ(バリトン)、マリーナ・クンツェーヴィチ(語り)、ヴラヂーミル・ブードニコフ(ピアノ)]
11/09 18:30】ラフマーニノフとグリーグの歌曲[リュボーフィ・クリュコーヴァ(歌唱)、イリーナ・ウスチーノヴァ(ピアノ)]
11/10 18:30】室内楽団『グローリヤ』[メンデルスゾーン・室内交響曲、ベートーヴェン・室内交響曲ハ短調]【11/11 12:00】≪音楽の国への旅≫シリーズ[出演:ハバーロフスク地方フィルハーモニーのアーチスト、ヴォーカル・スタヂオ『銀の音』、コンサートアンサムブル『ダーリニイ・ヴォストーク』]
11/15 18:30】極東交響楽団[チャイコーフスキイ・ヴァイオリン協奏曲&交響曲第3番/ヤン・クヴゥン(韓国のヴァイオリン独奏者)、
イリヤー・ヂェルビーロフ(指揮)
11/16 18:30】≪ダンスの魅力≫シリーズ[出演:室内楽団『グローリヤ』、ハバーロフスク室内合唱団、フィルハーモニーのソリストたち]
11/17 18:30】オルガンの夕べ[J.S.バッハ・小前奏曲とフーガ・ハ長調、2つのコラール前奏曲、組曲第3番ニ長調よりアリア、組曲第2番ロ短調より戯れ/タラース・バギネーツ(モスクヴァ市のオルガン奏者)
11/18 18:30】オルガンの夕べ[J.S.バッハ、フランク、メシアン、クープランのオルガン曲/タラース・バギネーツ(モスクヴァ市のオルガン奏者)]
11/21 18:30】ロシヤとドイツの声楽の小品[ブラームス、R.シュトラウス、リームスキイ・コールサコフ、ラフマーニノフ]
11/24 17:00】オーリガ・トカチョーヴァ独演会≪ロシヤ女性の肖像≫[コンスタンチーン・モーシン(ピアノ)]
11/24 18:30】ピアノの夕べ[アルセーニイ・アーリストフ(モスクヴァ市のピアニスト、ネイガーウス名称国際コンクール1位、ホロヴィツ名称国際コンクール2位)]

11/25 18:30】極東交響楽団[ロシヤ内外の作曲家の歌劇のアリア/ヴェロニーカ・カシヤーノヴァ(歌唱)、イリヤー・ヂェルビーロフ(指揮)
11/30 18:30】室内楽団『セレナーダ』[シューベルト・ヴィオラソナタ(第一楽章、故V.チーツさんによるヴィオラと弦楽合奏のための編曲版)、モーツァルト・アイネクライネナハトムジーク、チャイコーフスキイ・弦楽合奏のためのセレナード/
イリヤー・ヂェルビーロフ(指揮)

(※チケットの有無などの問合せの電話番号は、31-63-68,32-89-5131-55-29です。

 

趣味の切手


 1010日、中央郵便局の入口を入って左手奥の左側の売り場に寄りますと、こんな切手が売られていました。

WWFのパンダさんのマークの入った稀少動物3種[ユキヒョウ、コウノトリ、ヨーロッパバイソン]。

◎ロ朝共同発行の花4種[グラヂオラス、アイリス(アイリスは新潟県の切手にも。)、バラ、ハス]。

◎ロシヤの地域シリーズ:イルクーツク州(バイカール湖とシベリヤ鉄道のデザイン)、アルターイ地方(文人・映画人のヴァシーリイ・シュクシーンと白樺のデザイン)、ノヴォシビールスク州、ボーログダ州(今年生誕100周年の詩人、散文家のヴァルラーム・シャラーモフの生地)、オリョール州、ロストーフ州。

 

先日中央市場に行きましたら、今年冬に発行の『六花』Vol.21に情報を掲載させていただきました「中央市場の日本食品コーナー」がなくなっておりました。(編集子)

 

六花版/HPの

http://www.filarmonia.khvs.ru ハバーロフスク地方フィルハーモニーのサイトです。

www.pravo.khv.ru 在ハバーロフスク地方人権担当全権代表の公式サイト(9/27付『太平洋の星』の情報です。)

http://yokuryu.huu.cc/ シベリヤ抑留者名簿(作成者・村山常雄さんtmura@nou.ne.jp

【本棚】村山常雄(平成18年度吉川英治文化賞受賞者)編著『シベリヤに逝きし人々を刻す』(ソ連抑留中死亡者名簿、約46,300名を収録。弊局のリスナーの方がお送りくださった2007920日付『日本経済新聞』に掲載されたご本人の写真入の記事によりますと、この本はプロスパー企画社から7月に自費出版されたとのことです。)

http://www.nhk.or.jp/gogaku/russian/cast.html NHK教育テレビ「ロシア語会話」2007年度スタッフのプロフィール。ハバーロフスク出身のアナスタシヤ・ボルドゥィレヴァさんが、ゲストとして出演されています。

http://homepage.mac.com/toshihak/sentatsu/t3000.html ウラジオ日記ほか。  

http://music.geocities.jp/bassdomra/ ♪バラライカ・アンサンブル・ポーレ。日露交流の架け橋。

http://www.kmscity.ru コムソモーリスク市。◎ http://www.sovgavan-rayon.ru ソヴガーヴァニ地区

http://www.khabarovsk.kht.ru ハバロフスク市行政府。 http://www.adm.khv.ru ハバロフスク地方政府

http://www.adm.sakhalin.ru サハリーン州行政府。 http://www.primorsky.ru 沿海地方行政府。

http://samurai.hobby-web.net/2/ 極東国立人文大学日本語学科元4年生ホームページ。 

http://www.geocitiesjp/urajionihon/top.htm ウラジオストク日本人会

http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/ 在ハバロフスク日本国総領事館

http://hisgan.fc2web.com「六花」が読めます http://hisada.blog3.fc2.com/ 左記の管理人さん)。 


☆ラヂオの冬季周波数☆

NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・新周波数表(20071028日〜2008330




◎ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・新周波数表(20071028日〜2008329

  日本時間 21.00-22.00  中波 630 720  短波 5920 6180kHz

日本時間 22.00-23.00  中波 630 720  短波 5920 6005 6180kHz

(受信環境によってラヂオによる聴取が困難な場合がございます。)

*HPアドレス http://www.ruvr.ru (日本語直通 http://www.ruvr.ru/index.php?lng=jap

*リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www.geocities.jp/pechika041029/


(上記のサイトでインターネット放送(リアルオーディオ&オンデマンド)をお聴きいただけます。)


*ハバーロフスク支局では番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46 / 岡田)

1027日放送の番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに、第8回ハバロフスク日本語弁論大会で特別賞を受けられ、『六花』2007年春号に<・・・なかでも、故郷のヤクーチヤを離れて慣れないこの土地で孤独な学生生活を送るなかで、ふと自分の心のなかで花詩や歌とめぐりあい、寂しさを乗りこえられたというかたの「インスピレーションの瞬間を逃がさないでください」と題されたお話しは、私にとってたいへん印象深いものでした。>と記させていただきました、現在極東国立人文大学の5年生で、ご出身地ヤクーチヤのラヂオでは自作自演の歌が放送されているというシンガーソングライターの、アイコ(本名:リーヂヤ・ルキナー)さんが、ご出演くださいました。下記のリスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』のHP♪放送音声をクリックしていただければ、そのインタヴューおよびアイコさんのヤクート語による2曲の歌を収めた番組をお聴きいただけます。

http://www.geocities.jp/pechika041029/sibegin151.html

次ページに、その『別れ』と『歌い続ける』という歌のご本人によるヤクート語からロシヤ語への翻訳と編集子によるつたない和訳を添えさせていただきますので、よろしければどうぞご覧ください。


 

【編集後記】日本人会会報・季刊『六花』編集係では、編集にご参加ご協力くださる方をお待ちしております! 次号の原稿の締切りは、200712月末日です。趣味のお話し、イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイ、旅の思い出など、お気軽に編集担当(岡田)までお寄せください。職場32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru)。



 ≪Расставание≫

≪Во сне ли, наяву ли?≫-

Успеваю лишь прошептать за тобой.

Во сне ли, наяву ли?

Ты оставляешь лишь память за собой.

≪Капли дождя ли, слезы ли?≫

Ничего не говори, просто обними.

Будешь ли помнить, забудешь ли?

Ответа никто не может найти.

Расставаясь с тобой,

Я держу твою руку.

Буду ждать, жить тобой,

Япройду через муку.

Расставаясь с тобой,

Отпускю твою руку.

И слезы вслед за тобой

Мне теперь не помогут.

А помнишь день первой встречи?

Тот теплый летний вечер?

В моей памяти и сердце

Всегда мы будем вместе.

Навсегда ли, ненадолго ли

Судьба нас так разлучает?

Будешь ли помнить, забудешь ли?

Ответа никто не знает.

別れ 作詞・作曲・歌唱:アイコ(リーヂヤ・ルキナー)

これは夢、それともうつつ?

あなたのあとで囁くのがやっと。

これは夢、それともうつつ?

あなたは思い出だけを残していく。

 

雨のしずく、それとも涙?

何も言わず、ただ抱きしめて。

憶えている、それとも忘れてしまう?

だれも答えを見つけられない。

 

あなたとの別れぎわに

私はあなたの手をにぎる。

私は待ち、あなたで生き、

苦しみを通りぬけていく。

 

※※

あなたとの別れぎわに

私はあなたの手を放す、

あなたを追いかける涙も

もう私を助けてくれない。

 

はじめて逢った日を憶えている?

あの暖かな夏のゆうべを?

私の思い出と心のなかで

私たちはいつまでも一緒。

 

いつまでも、それともすこしのあいだ?

運命は私たちを離れ離れにさせる。

憶えている、それとも忘れてしまう?

だれも答えを知らない。

 

※※


≪Продолжаю петь≫

Во сне мы снова встретились,

За руки взявшись, в небо полетели.

По облакам гуляли,

Возле радуги танцевали.

В сердце я сохраню несбывшиеся мечты,

А в этой песне я скажу то,

Что не знаешь ты.

Эту песню я продолжаю петь

Чтобы она дошла до тебя.

Эту песню услышав, ты поймешь,

Что я любила и люблю тебя.

Моя слеза, став каплей дождя,

Упадет к тебе на ладонь.

Мою песню ветер донесет до тебя

И обнимет вместо меня.

Я знаю, время вспять не повернуть,

Те счастливые дни не вернуть.

И меня ты никогда не простишь,

Так хотя бы мою песню услышь!

 

歌い続ける 作詞・作曲・歌唱:アイコ(リーヂヤ・ルキナー)

夢で私たちはふたたび出逢い、

手をとり、空へ飛んだ。

雲のなかを巡り、

虹のそばで踊った。

 

心のなかに私は抱きつづけている

叶わなかった夢を。

そしてこの歌のなかで私は告げる、

あなたの知らないことを。

この歌を私は歌い続ける

それがあなたに届くように。

この歌を聞けばあなたは判る

私があなたを今も愛していることを。

 

私の涙は雨のしずくとなって

あなたの手のひらに落ちる。

風が私の歌をあなたに届け、

私のかわりにあなたを抱く、

 

私は時が戻らないことを知っている、

あの幸せな日々が戻らないことを。

あなたは私をけっして赦さない、

だからせめて私の歌を聞いて。


※あえて、文字数の違いによる曲線美をあらわしてみました。(ヒサ)
















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