六花(РИККА)春(22)号
ハバロフスク日本人会会報     りっか 六花 рикка         2007春・Vol.22
                   

☆何故ハバロフスクへ、なぜハバロフスクを?(鈴木宣平さんからのご寄稿です。)

なぜ毎年ハバロフスクへリハビリに行くのかと聞かれる。 繰り返しこれが最後、これが最後と言い続けて昨年夏4回目を終えた。 もう誰もこの「最後」を信じてくれない。 お前は今年もきっとハバへ行く、賭けてもいい、と言って来る。 なぜかの理由を探せば、一つはもちろん義務。 ハバロフスクの病院からの退院時、「退院にはちょっと早いが25ヶ月で普通の状態に戻る、重症だったがリハビリ運動を頑張れ」、と言われたが、5年目のこんにちも左半身不随、言語障害に悩まされている。 どこらへんが25ヶ月やねん。不自由な身体に鞭打って苦しいリハビリメニューをこなしてきたのに。 レーニン通りで倒れた時はずっと以前に映画で見た宇宙のような黄泉(よみ)の世界の入り口を一度は見たが、実母(現在98歳)が生きているうちは絶対死ねないと三途の川の岸辺から戻ってきた。 実母が生きている間は死ねないが、実母の死後は自分がどこでどう死ぬことになるかを想像すれば、今現在をどう生きなければならないかが決まってくるから面白い。  二つ目の理由はハバロフスクへの未練。 しかし失くしたものを追い求めるのをすっぱりやめたら今の人生が急におだやかになった。 三番目の理由はというと「日本ではリハビリ料金が高い、4年以上過ぎた古傷は日本のリハビリ科では受け付けてくれない。」

   脳梗塞の後遺症の治療にはリハビリ以外に無い、とハバロフスクでも日本でも言われ続けた。 しかし日本の病院では充分なリハビリを受け難い。 発症、入院して180日間のみは医療保険の対象としてリハビリ室を安く使える。 しかしすぐ親心で冷たく追い出される。 「リハビリ難民」の誕生だ。 日本にはこのように「医療制限」が有って、脳梗塞の場合は180日、心筋梗塞で生き延びても150日、あとは医療としてのリハビリはストップ、引き続きは全額自己負担でリハビリ、それならば介護保険適用でというとこれの運用は不自由、特に介護保険は年齢制限があり、65歳以上に適用される。 まして私は64歳、左半身不随、言語障害が残っているのに4年前の古傷を持つ者はリハビリルームにも言語矯正ルームにも入れてくれません。 と言ってプライベート・リハビリは費用と時間がままならぬ。

   嚥下(えんか)障害は幸い入院直後のハバロフスク鉄道病院の集中治療室にいた10日間のうち初めの5〜6日で懸命に治療してくれたのだが、しかし舌の付け根がいまだに動かずまともな発音が出来ない。 元々私は無口なのでおしゃべりはともかくとしても、飲み食いには長らく苦労した。 飲食やお喋りにはすぐ咳き込む、よだれをたらす、とだらしないが、2ヵ月後には自分でも驚いたことにハバロフスクの医者からアルコール飲料を許可されたのです。 血液をサラサラにするのには「適量」の飲酒も良いらしい。 けれど自分は元々お酒といってもほんのたしなむ程度。 目の前にウオッカ、日本酒、焼酎、ワイン、ビール、ウイスキー等の満杯入ったそれぞれのボトルをずらりと並べられましてもほんのオチョコに1杯か2杯、、、残す程度でございます。 

   半身不随や言語障害の仲間を日本で見ているとやはりお金を掛けてもリハビリをぐわんばっている。 リハビリの手を抜くとたちまち身体機能不全、寝たきり、廃人になってしまうことを知っているからだ。 しかし日本では費用と時間割に苦労している。 帰国して病院内のオープンフリーだと思ったリハビリ室にズカズカ勝手に入り込み、小道具をいじっていたところ、若い介護士に「使うなら形成外科か脳外科を受診して医師にリハビリメニューを作ってもらえ」と追い出された。 リハビリ科の美人看護婦に泣きついたたところ、4年も前の退院サンは相手にしていないと笑われた。 しからば自分で散歩以外のリハビリに挑もうとしたが、家庭内で手足を動かす体操はともかく、たとえば水泳リハビリは、日本ではプールは数が少なく、有っても水泳教室優先で自由会員の泳ぐ時間が無い。 水泳教室も成人は費用も高いし、時間割も限られている。 まして水中での歩行訓練は邪魔者扱い。

 その点、ハバロフスクでの夏場3ヶ月間のリハビリはメニューとしては太極拳体操、サウナと併設のプールでの水泳、自然一杯の農園での草むしりなどがあるが若い女性もたくさんいて楽しいものばかり。 太極拳の先生はロシア正教に敬虔で、教えは哲学的、仲間は優しく、挨拶はハグ。 サウナや併設の水風呂は混浴だからこの歳でキモカワイく童心のようにはしゃぐ。 農園からの帰りは収穫物で腹一杯、手一杯。 さらに出欠は自由、月1,000ルーブル(4,500)とくる。 何よりも楽しかったのは外地にいるのに孤独に苦しむことが無い、いつでも幸福な気持ちに浸れたこと。 「お前がひっくり返って倒れたことなんてどうでもよいことだ、お前が立ち直れるかが大事だ」なんて医者が言ってくる。 あくる朝が怖くない、「見える」、「聞こえる」、「話せる」、「手足が動く」 − 以前は当たり前だったことが、今ではひとつひとつがハッピー。 帰国後は苦しいながらも以前はじゃまくさかったゴミの分別、曜日毎のゴミ捨て通いを何事もリハビリ、これも人生だ、と考えれば苦にならないのが不思議だ。せっかく生き返ったのだから生ける屍となることのないよう気をつけようと思う。

   という訳で不具にはなりましたが未だにドナー登録をしていないので新薬開発のための臨床実験台になることに決めました。 今は人体実験とは言わず「治験」というらしいです。 生きている間にも人のためになることをしたいと思ったのです。 しかしネズミやモルモットで安全だった薬だそうですが、最近の私の尿検査で血液の混入が認められ、たとえ1週間でも秋まで海外旅行はダメと言われ、実験の終わる今年の10月末まで遠くへは行けませんので、今年は例年のような5月〜7月のハバロフスク・リハビリには行きません。 恒例のアムール河遊覧、シャシリーク・パーティーに参加できないのが残念です。
        

☆地元の学生さんたちのスピーチ 連載・第7回☆

たいくつしないプレゼント

ソコレンコ・ナディージダ/サンクトペテルブルグ国際経済法律大学

 私は、祝日や何かのお祝い事が近づいたとき、「あの人には何をプレゼントしたらいいだろう」といつも考えてしまいますが、皆さんにはそういうことはありませんか?

 でも、すばらしい、忘れがたいプレゼントをしたいと思っても、結局はありきたりの物になってしまうのが普通だと思います。

 もちろん、相手がもう既にたくさん持っているかも知れない写真アルバムや額縁でもいいです。

 私も最近までは日常生活であると便利な実用な物を選ぶようにしていました。でもあるとき、ちょっと冒険をして、何か変わったプレゼントをしてみようと思いました。どんなことになるか、少し心配でしたが、自分で描いた絵を贈ろうとしたのです。

 保養地で知り合った若夫婦の結婚1年のお祝いです。私はこの仕事に使命を感じ、意気込んでとりかかりました。

 わたしがすばらしい絵描きでないことは認めます。でも大事なことは、芸術的な価値ではなく、それが心を込めたものであることです。絵のモチーフは、私がその若夫婦と出会ったクーリドゥーラという保養地の写真から取りました。描き始めてから2時間ほど経ちました。そろそろ完成近くなって、自分でも可笑しくなって、笑ってしまいました。トナカイを描いたつもりなのに、それは、どう見てもオオジカになっていました。村の風景は輪郭がなくなるし、太陽は緑色になってしまったのです。プレゼントを手渡す時が来ました。私は誇り高く「これは私が描いたのよ」と言いました。最初は若奥さんに絵を渡しました。彼女は考え込んで黙ってしまいました。それからそれをくるっと回して、ご主人に渡しました。ご主人はしばらく眺めていましたが、突然「これ、何、トナカイ、それとも・・・ 」と言いかけて、くちごもってしまい、それから急に「すごい傑作だね」と言いました。若奥さんも「思いがけないプレゼントだわ」と満足そうに言ってくれました。私は頑張ってよかった、いいプレゼントができたと思いました。

 こんなプレゼントをしたこともあります。ある友達の誕生日のときですが、お祝いのプレゼントを探しているとき、偶然ペットショップに入りました。本物の小さなウサギが目にとまりました。かわいい、かわいいウサギでした。ロシア式に言うと、世話が焼けるプレゼントだけど、これをプレゼントしたらいいと思いました。そのプレゼントを受取った彼女は、箱を開けたとき、最初は縫いぐるみの人形と思ったようです。でも、数秒して、ウサギが耳をピクピクと動かしたとき、すっかりこうふんして「生きている!すごい!すごい!こんなプレゼント、初めて・・・ 」と叫びました。

 翌日、私は迷惑なプレゼントをしてしまったかもしれないと心配になって、彼女に電話してみました。すると彼女が言うには、そのウサギにサーシャという名前をつけて、700ルーブルもするオリも買ったそうです。それを聞いて、彼は気に入ってくれたんだと思い、とてもうれしくなりました。

 私は大学で日本語を勉強していますが、卒業したら通訳になるつもりです。通訳をするようになったら、日本人にもプレゼントをする機会が必ずくると思います。

 外国人へのプレゼントとしては普通ロシアの伝統的な民芸品であるマトリョーシカやサモワールを贈りますが、私はそれにはこだわらないで、たいくつしないプレゼントを選びたいと思います。

 ロシアは広い国です。ロシア人の一人である私のたいくつしないプレゼントがロシア人と日本人との国境を越えたおつきあいに役に立つようになることを心から願っています。

☆第8回日本語弁論大会☆

 朝から温かな春雨が降って久しぶりによいお湿りとなった421日、プーシキン像でおなじみの極東国立人文大学で、毎年恒例の日本語弁論大会が催されました。今年はどんなスピーチと出会うことができるだろうかとわくわくしながら、そして、なぜかハラハラしながら、会場の椅子に腰をおろしました。暗唱の部は、清少納言の「枕草子」と吉本ばななの「キッチン」。5人ずつあわせて10人のかたの朗唱は、声にこめられたお一人お一人の思いがひしひしと感じられて、改めて朗唱というものの広さと深さを思ったことでした。20分ほどの休憩をはさんで、今度は、スピーチの部です。特別枠の3名をふくめて13人の弁士のかたがさまざまなテーマで展開されるお話しはいずれもたいへん趣深く、私にとってふだん接する機会の少ない当世の学生気質の一端に触れることができたように思いました。なかでも、故郷のヤクーチヤを離れて慣れないこの土地で孤独な学生生活を送るなかで、ふと自分の心のなかで詩や歌とめぐりあい、寂しさを乗りこえられたというかたの「インスピレーションの瞬間を逃がさないでください」と題されたお話しは、私にとってたいへん印象深いものでした。(編集子)


☆切手の情報☆

 先日、中央郵便局に寄りますと、アルセーニイ(詩人、今年626日生誕100年)&アンドレーイ(映画監督、今年44日生誕75年)・タルコーフスキイ父子のセピア色の記念切手や切手なしの封筒が売られていました。ロシヤの詩や映画を愛するお友だちへのプレゼントに如何でしょうか。425日が生誕100周年でした『モスクヴァ郊外の夕べ』などの作曲者ヴァシーリイ・ソロヴィヨーフ=セドーイの記念封筒もみかけました。

               

☆山下雅司さんの小説「時空の旅人」☆<連載第9回>

 其之

 

 一見恐そうに見えた老婆も近くで見るとそれ程でもなく、高齢と言う事が原因で無気味そうに見えただけと気がついた。だいたいこの集落には年寄りと言われる高齢者は少ない。それだけに杖を突き、腰の曲がった老婆の皴の多い額と鷲鼻が、メグミに魔女を連想させたのだった。

 よそ者のメグミは集落の呪術師、知識人とも言うべき老婆に預けられた格好となり、一人者の老婆の世話や日常の手伝いを始めた。一緒に暮らしてみるとこの老婆は只ものでは無い事が直ぐに判った。

 祈祷師、占い師、予言者、呪術師、医者、薬剤師と、何でもこなす集落でも最高の知識人で、裁判官も兼ねている様なとんでもない老婆と言う事が判った。

 食料も自分で調達する事も無く、村人が交代で持ち寄ってきてくれる。メグミの主な仕事は老婆の食事の用意、そして最も重要な仕事は儀式の行なわれる場所の掃除であった。儀式の場所は集落の廻りに散らばっていて幾つかある。

 風葬の為のピラミットのような丘陵、一〇〇メートル以上はある細長いお墓、聖域とされている環状列柱、そして巨大な円形の二重の濠、後でヘンジと言う物だと知った。

 今思うに、メグミが眠りに付き巨石の下で村人に発見されたのは、これらの儀式の場にある石の一つだった。

 今のメグミの日常生活は、これらの場所を順番に巡り歩いて掃除する事であった。

 其の往復に生えている薬草を積み、小屋の屋根に吊るして乾燥させて薬草を作る。要するに現在は呪術師の老婆の手伝い、見習いの様な生活を送っていた。

 呪術師の仕事は多彩を極め、天気の良い夜は月の満ち欠けを観測し星を眺める。朝夕の風向き雲の流れを観測し、天気を予想し、季節の移動に絶えず気を配り、種蒔きや、季節による山になる果実の収穫期を知らせる。子供が生まれると言えば、産婆の役割をし、死人が出れば葬式を出す。老婆は何でも魔法の様に行なう魔訶不思議な女、魔女と言う名がピッタリだ。

 良く子供が生まれ、良く死人が出る。生まれ出ずる小さな命は多いが、幼児期の死亡率も高いようだ。高齢者が少ないのは、寿命が極端に短いと言う事を知った。

 事故死も後を絶たない。狩猟、漁業を始め危険が多すぎると言う事だ。事故死するのは働き盛りの男性に最も多い。この世界では生と死は表裏一体の感がある。

 死の悲しみを生まれいずる新しい小さな命に、蘇りを見ると言う思考は当然の芽生えであり、そこから輪廻転生の思想が生まれて来のだろうとメグミは納得した。

 ひと月も過ぎた頃であろうか、栗色に染めた髪の根元に黒い自毛が伸び始めてきた。

 村人がそれに気付き騒ぎ始めた。村人の髪は北欧系の民族の様に金色や薄い栗毛色の髪の色が多く、黒髪は始めて見るらしく、長く伸びるに従い特別な物として捉え、老婆の元で暮らしている事もあり、真っ直ぐに長く伸びた美しい黒髪を見て、神子の様に神聖化して見る様になった。元々、巨石の下で発見されて出自が謎に包まれていた。

 神の使いと思われる様になり、やっと村人に受け入れられたとメグミは思った。

 

 西の空が燃えている。真紅の炎を雲間に映し出し、遙か上空は薄紫色の雲が覆い、光点近くに棚引く雲の流れがその下にあった。オレンジ色から茜色に変化するのは、日没直前の僅かな時間だ。一日の最後の残り火を燃焼し尽くす様にも感じられる。

 夕日の色合いの変化を演出するのは棚引く雲の群れだ。雲の高さの違いや厚さが、夕陽の色合いに変化を付ける様で、時間の経過と共に茜の空は色を変えながら暮れて行く。

 まるで命の炎が燃え尽きる様に音もなく、遙か彼方の草原の地平線に消えていく。

 やがて夕陽が沈むと夜のとばりが広がり始める。

 終演後の幕が静かに降りて来る様に、闇が夕陽の残照を包み込んで行く。

 音もなく夕陽が消えて、光から闇の世界へと変わり行く。

 この見るからに人工的に作られたと思われる丘陵は地上四〇メートルの高さがある。

 メグミが始めてこの地を訪れた時、月明かりに影絵となって現れピラミットに見えた物だった。この円錐型の上から眺める沈む夕陽と闇の訪れは、地上とは一味違い一種独特な威厳が感じられる。円錐塚の頂上にある広場が、蘇りを信じて肉体から霊魂を解き放つ、死者送りが行なわれる儀式の場と言う事と、風葬が行なわれる場所と言う事が、多分に影響していると思われる。静けさが丘陵全体を包み込んでいる。

 風はなく穏やかで、焚火の紫色の煙が天空に繋がる一本の糸の様に上空に昇って行く。まるで命の残り火が燃焼し付くし、消え行く魂が昇天して行く様に見える。

(沈み行く夕陽と広がり行く闇への恐怖を、一人息子を失ったこの年老いた母親は、どの様な思いで見ていたのだろうか?)

 と、メグミは思った。

 母親の横顔には涙はなく、深い皴がまた一本新たに刻み込まれた様に見えた。

 悲しみが限界を超えると絶望の思いは、涙をも嗄れ果てさせるものなのか?

 諦めにも似た深い絶望の悲しみを漂わせている。

 闇が増し炎が踊り、老婆の横顔が焚火の明かりに映し出されて、顔の陰影が更に強まると、嘆き悲しむ夜叉の能面を見ている様にメグミには感じられた。

 傍らには野の花を手にした乙女が佇んでいる。

 何時か、若者と楽しそうに語らっていた乙女の目には、涙が沸いて来て一雫頬を伝って落ちる。そしてまた涙が沸いて来一雫、果てる事なく涙が沸いて来て、一雫ずく頬伝う涙が悲しみの深さを思わせる。

 握り締めた野の花は遠に萎れ、それにすら気付いてい無い。

 この村の人達は、自然のあらゆる生き物に精霊が宿り、輪廻転生を信じ、霊魂不滅を信じている。霊魂不滅を信仰する人に死を恐れる人はいない。しかし、後に残された人の悲しみは計り知れない。霊魂は蘇っても、死者との別れの悲しみは癒える事無く、亡くなった本人が戻る事はない。

 焚火の向こうに見える風葬の櫓の上の若者の笑顔は、永久に戻る事は無い。

 風葬の儀式は日没前に終わり、儀式が終わると村人は悲しみと共に丘を下りていった。 今夜は夜通し身内のものが、焚火の火を絶やさず若者の霊送りを行なう。

 今、この丘の上にいるのは老婆と乙女、そして呪術師見習いのめぐみと言う女性三人だけだ。めぐみは焚火の火を絶やさない役目があった。

 長い辛い夜になりそうな気がした。

 上弦の月が昇ってきた。星の煌めきも増してきた。

 死者は天上に昇り星になると言う。何となく納得できそうな奇麗な星空だった。

 数え切れないほどの沢山の悲しみが天上で煌めいていた。

(次号につづく)

☆大聖堂の鐘楼☆

編集子の勤めております放送センターの隣には救世主顕栄主教座大聖堂が立っていますが、411日、聖人金口イオアン(ヨアンネス・クリュソストモス)の聖骸の小片が、日本人のカトリック枢機卿スチーヴェン・フミオ・ガマオさんによってローマからその大聖堂に届けられました。この古代教会の正教の神学者の聖骸を極東に運ぶ構想は、ロシヤの太平洋地域においてさかんに発展しつつある神学教育への支持をそのような形で表明したいとのローマのカトリックの主教職や聖職者たちの思いに根ざしており、隣接するハバーロフスク神学校の聖堂の成聖ののち、の聖物は、大聖堂からそちらへ移されるそうです。さて、その日、鐘の音に誘われてふらりと聖堂に寄りますと、知り合いの修道司祭インノケーンチイさんが居られ、よろしかったら鐘楼に登ってみては、と言ってくださいます。つづら折りの階段を登りきりますと、まさに絶景です。アムール河はまだ氷におおわれていましたが、頬をつたう風はもう冷たくなく、長い冬の終わりを感じさせてくれました。登ってきた方々がさかんに鐘を打ち鳴らしており、私もひとつ紐を引っ張って鳴らさせていただきました。聖堂の方の話しでは、このように一般の人が鐘楼に登って鐘を鳴らすことができるのは、原則として、復活祭後の一週間、いわゆる光明週間の朝課と晩課ののちに限られる、ということでした。この時期に当地に居られる方は、ぜひ鐘楼に登ってみられては如何でしょうか。

 

☆ロシヤのこんな菜食レシピ 〜ポースト(精進期)向きの料理〜 

◎『えんどう豆スープ』

材料:えんどう豆400g、パセリの根1個、にんじん3-4個、たまねぎ1-2個、ひまわりオイル25g、塩お好みで。

洗ったえんどう豆を1時間水に浸したあと、水を流します。用意した野菜をこまかく刻み、きつね色になるまで油で炒めます。炒めた野菜をえんどう豆と混ぜ、熱湯を注ぎ、20-30分煮て、お好みに合わせて塩を加えます。テーブルに出す際、こまかく刻んだウクロープ(ジル)を添えます。

◎『蕎麦のブリーン(ロシヤ風クレープ)』

晩、蕎麦粉3カップに熱湯3カップを加え、よく混ぜ、1時間置きます。蕎麦粉がない場合は、蕎麦の穀粒をコーヒーミルで挽きます。(※編集子は、穀粒をコーヒーミルで挽いていて、ミルが壊れてしまったことがございます。とほほ(汗)。)

生地が冷めたら、熱湯1カップを加えます。生地がすこし温かくなったら、半カップの水に溶いたイースト25gを加えます。

翌朝、塩を加え生地をよく混ぜ、それを温かい場所に置き、生地が膨らんだら、フライパンで一枚一枚薄く焼いていきます。ブリーンには、なすやかぼちゃのペースト、ジャムなどを添えることができます。

◎『蕎麦入りきのこスープ』

材料:じゃがいも100g、蕎麦の穀粒30g、乾燥きのこ10g、たまねぎ20g、ひまわりオイル15g(大さじ1)、香草(ウクロープやパセリなど)お好みで。

賽の目に切ったじゃがいもを煮て、蕎麦の穀粒、あらかじめ水で戻しておいた乾燥きのこ、軽く炒めたたまねぎ、塩を加え、しばらく煮ます。出来上がったスープに香草を添えます。

20070222新聞「沿アムール報知」の情報です。

 

2007年の休日の振替4/28(土)→4/30(月)、6/9(土)→6/11(月)、12/29(土)→12/31(月)。(20061115イズヴェースチヤ・20061116太平洋の星&沿アムール報知の情報です。

☆新聞拾い読み☆

ハバーロフスクとビロビジャーンで地震

 4月22日の日曜日、現地時間の21時05分、ハバーロフスク地方とユダヤ自治州の多くの住民は、充分それと感じられる地震を感じました。ロシヤ科学アカデミー極東分院構造地質学地球物理学研究所長代行のヴィークトル・ブィーコフさんは、次のようにコメントしています。「私たちの町は、タンルと呼ばれる断層系のライン上に位置しています。これらの断層のラインはおもに中国にあり、そこではかなり強い地震が起こっています。私たちのところでは、地震は、それほど強くありませんが、それと感じられるものです。今回、震源は、ハバーロフスクから75ないし80キロメートル離れたハバーロフスク地区ノヴォクーロフカ村のあたりでした。マグニチュードは4,3、ハバーロフスクでは震度がリヒタースケールで3に達しました。ちいさな地震、これは、まったく正常な現象です。それを恐れる必要は、ましてや、パニックに陥る必要は、ありません。この2年のあいだに、当地方で、私たちは、いくつかの震度2から4までの地震を感じました」。(20070424沿アムール報知

ラゾー地区でバイオエタノール

 このところ日本の代表団がハバーロフスク地方ラゾー名称地区の町ホールをよく訪れるようになった、といううわさが流れています。ホールをというよりも、直接、現在操業しておらず倒産状態にあるアルコール生産工場を。もっとも、日本の会社は、アルコールやヴォートカではなく、穀物原料の代替燃料バイオエタノールの同企業における生産の可能性に、関心を示しているそうです。同様のプロジェクトは、ロストーフ州でも組織される予定です。ラゾー地区のアルコール生産工場でのこの新しい生産の組織がうまくいくかどうかは、今のところわかりません。けれども、この工場が多くの人が考えていたようにおが屑でではなくまさに穀物でアルコールを生産していたことに、遅ればせながら安堵することができそうです。

うわさ課(20070421太平洋の星

女性専用のコムパートメント

 コムパートメントが、男性専用、女性専用、そして、男女相部屋のものに分かれている特別車両のサーヴィスは利用されているのですか、とのハバーロフスク市在住のV.ヴォローノフさんの問いに極東鉄道ハバーロフスク支部報道係長のイーンナ・ぺぺリャーエヴァさんはつぎのように答えています。この新しいサーヴィスは初日から好評で、パイロットプロジェクトがスタートした418日、ハバーロフスクとヴラヂヴォストークを結ぶ列車《オケアーン》号のビジネス・クラスの車両は満席でした。そして、こうしたサーヴィスをそなえた今のところ初めてのこの車両の乗車券は3日先まで売り切れの状態です。ロシヤでは、多くの女性の要望に応えて、今年115日からこうした車両を持つ列車が運行されています。この乗車券は、鉄道の切符売り場で購入でき、乗車券には、《T》という記号の欄に、男性専用なら《M》、女性専用なら《Ж》、男女相部屋なら《C》、と記されています。(20070425-050217論拠と事実

 

ヤクーツクに新しい空港

 2009年末までに、ヤクーツクに、世界標準に合致した最先端技術で建設される総費用3900万ユーロの現代的な空港コムプレックスが建設される予定です。共和国サハ(ヤクーチヤ)の政府でロシヤ通信社ノーヴォスチに明らかにされたところによりますと、このおおがかりな建設の詳細は、ミロスラフ・コステルカ・ロシヤ連邦駐在チェコ特命全権大使を団長とするチェコのビジネスマンたちの代表団の訪問の際に協議されました。アルトゥール・アレクセーエフ共和国サハ政府副議長の話しによりますと、新しい空港コムプレックスは、ヤクーチヤおよび極東地域全体にとっての戦略的意義を有します。ヴィークトル・ボゴフコーフ共和国サハ運輸通信情報省付属空輸極副局長が明らかにしたところによりますと、コムプレックスは現在の空港『ヤクーツク』の場所に建設される予定です。(20070307沿アムール報知

 

アイスホッケークラブ『アムール』

 ハバーロフスクのアイスホッケークラブ『アムール』は、3月3日にマグニトゴールスクの『メタルールグ』と引き分け、スーパーリーグ残留のチャンスを完全に失いました。ハバーロフスクっ子たちは、知事の《行政手腕》とヴラヂスラーフ・トレチヤーク氏が会長を務めるロシヤアイスホッケー連盟の裁量に最後の望みをかけています。同連盟は、理論的には、来シーズンも『アムール』をスーパーリーグに残留させることができます。たとえば、観客収容数5500人以下でスーパーリーグの要求基準を現時点で満たしていないアイスアリーナをホームとしている4つのクラブのいずれかに『アムール』が取って代わることができます。 クラブを支援すべく、ハバーロフスクのファンたちは、適性を欠いたクラブを降格させて『アムール』を残留させることをロシヤアイスホッケー連盟に求めるための署名集めを組織し、3月5日の時点で5000以上の署名が集まりました。署名集めはひじょうに首尾よく完了しつつあり、トレチヤーク会長はハバーロフスクっ子たちの願いを受け入れるものと思われます。アルチョーム・ノーヴィコフ記者(20070310論拠と事実

4月17日付の『沿アムール報知』によりますと、『アムール』の運命は、4月末、おそくとも5月中ごろには決定する、ということです。

アルセーニエフのトネリコ

 ハバーロフスクのメインストリート、ムラヴィヨーフ・アムールスキイ通りと路面電車の走るシェローノフ通りの角の、有名な探険家、ヴラヂーミル・アルセーニエフによって植えられたトネリコの木のまえに、記念標識が設置されました。この木を、アルセーニエフは、1911年、兄弟のアレクサーンドルのハバーロフスクへの来訪を記念して自宅の近くに植えました。こうした記念標識は、1980年代に木のそばに設けられましたが、のちに何者かに持ち去られてしまいました。(20070411-1715論拠と事実

ワシたちに無線発信機

 国立自然保護区域《ボローニスキイ》では、日本の鳥類学者たちとの共同調査の準備がすすめられています。北海道の実践獣医学研究所の職員たちは、ワシたちの移動に関心をいだいています。自然保護区域《ボローニスキイ》および《コムソモーリスキイ》への夏季の調査の際、鳥たちの移動ルートをそれでたどることのできるおよそ20の無線発信機が若いワシたちにとりつけられます。ハバーロフスク地方政府と兵庫県の協力のもとに行われたコウノトリに関する5ヶ年プログラムの上首尾な実現ののち、ロシヤと外国の鳥類学者たちの協力の新しい方向が定められました。そのひとつは、データバンク用の遺伝子物質の採集です。まず第一に、それは、ハバーロフスク地方、ロシヤ、世界のレッドデータブックに掲載されていて絶滅のおそれのある鳥たちを対象とするものです。地球にはそうした鳥が146種を数え、自然保護区域《ボローニスキイ》にはそのうちの7種が棲息しています。それは、タンチョウ、コウノトリ、オオワシ、オジロワシ、などです。採集された物質は、日本の遺伝子データバンクに収められ、ロシヤにそうしたデータバンクがお目見えするまでそこに保管されます。アレクサーンドル・カルペーンコ記者

20070421太平洋の星

六花版/HPの

http://www.openkremlin.ru クレムリン・ツアー(「イズヴェースチヤ」紙の情報です。)

http://homepage.mac.com/toshihak/sentatsu/t3000.html ウラジオ日記ほか。  

http://music.geocities.jp/bassdomra/ ♪バラライカ・アンサンブル・ポーレ。日露交流の架け橋。

http://www.kmscity.ru コムソモーリスク市。◎ http://www.sovgavan-rayon.ru ソヴガーヴァニ地区

http://www.khabarovsk.kht.ru ハバロフスク市行政府。http://www.adm.khv.ru ハバロフスク地方政府

http://www.adm.sakhalin.ru サハリーン州行政府。http://www.primorsky.ru 沿海地方行政府。

http://samurai.hobby-web.net/2/ 極東国立人文大学日本語学科元4年生ホームページ。

http://yokuryu.huu.cc/ シベリヤ抑留者名簿(作成者・村山常雄さんtmura@nou.ne.jp

http://www.geocitiesjp/urajionihon/top.htm ウラジオストク日本人会

http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/ 在ハバロフスク日本国総領事館

http://hisgan.fc2web.com「六花」が読めますhttp://hisada.blog3.fc2.com/ 左記の管理人さん)。 


☆ラヂオのある暮らし☆

◎「NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・周波数表(2007年03月25日〜2007年10月1日)

<東南アジア向け> <アジア大陸向け>
日本時間 kHz 日本時間 kHz
日本語 日本語 ロシア語
11.00-12.00 11780 11.00-12.00 15235 12.30-13.00 15300
11.00-14.00 17810 11.00-14.00 15195 14.30-15.00 11715 11760
16.00-18.00 17860 16.00-17.00 15195 17.00-17.30 6145 6165
16.00-19.00 11740 極東ロシア 6145 6165 22.30-23.00 6190
18.00-01.00 11815 17:00‐02:00 9750 04.00-04.20 5955
01.00-04.00 7200 01.00-04.00 6035
05.00-07.00 11665 05.00-06.00 6165
05.00-09.00 13680 05.00-09.00 11910
06.00-07.00 9560

ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・周波数表2007325日〜2007年秋)

  日本時間 21.00-22.00  中波 630 720  短波 7175 7265kHz

日本時間 22.00-23.00  中波 630 720  短波 7175 7265 9640kHz

 *HPアドレス http://www.ruvr.ru (日本語直通 http://www.ruvr.ru/index.php?lng=jap

 *リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/


*ハバロフスク支局では番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46 /岡田)

【編集後記】日本人会会報・季刊「六花」編集係では、編集にご参加ご協力くださる方をお待ちしております!

 次号の原稿の締切りは、20076月末日です。趣味のお話し、イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイ、旅の思い出など、お気軽に編集担当(岡田)までお寄せください。職場32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru)。


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