六花(РИККА)秋(20)号
ハバロフスク日本人会会報     りっか 六花 рикка         2006秋・Vol.20
                   

                                     墓参会、和やかに

                                                

 930日土曜日、日本人墓地で毎秋恒例の墓参会が催されました。今年も天候に恵まれ、寒からず暑からず、とても快適に清掃作業ができました。焼香と献花、総領事、ならびに、たまたま日本からお見えの齊藤正二さん(前列左から2人目)のご挨拶、記念撮影ののち、みなさんが差し入れてくださった美味しいお結びやおつまみをいただきながら、ジュースやビールで喉を潤しました。ご参加くださった会員のみなさま、準備にご尽力くださった役員のみなさま、まことに有り難うございました。ご参加できませんでしたみなさま、次回はぜひご一緒いたしましょう。

 なお、齊藤さんは、寺尾聡の主演で映画化もされている辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」にその在りし日のことが記されており当地の日本人墓地に眠っておられる山本幡男さんの、ご長男、顕一氏とご親交があり、平田満・新納敏正・荒谷清水の出演によって舞台化されたその作品の公演に尽力されたそうです。以下は、関連のサイトです。

http://f4.aaa.livedoor.jp/~miyomix/2006/2006-0723-damoi/damoi2.html

(埼玉県三芳町での公演)

http://www.civichall.pref.shimane.jp/hall/damoi/index.html

(島根県民会館での公演)

 ちなみに、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(文藝春秋、1989年刊)を、102日、日本センターの図書室、入って右手の縦長の書棚の中段(フレデリック・フォーサイス著「イコン」上・下の隣)で目にしました。目次には、プロローグ/1章 ウラルの日本人俘虜/2章 赤い寒波 マロース/3章 アムール句会/4章 祖国からの手紙/5章 シベリアの「海鳴り」/エピローグ/あとがき 三十三年目に届いた遺書、とありました。

右上は、927日〜28日に日本人墓地の草を刈ってくださった好青年、オレーグ・シローチンさんです。そして、日本人墓地を管理してくださっているアナトーリイ・スタンコーさんが、刈られた草や落ち葉を除けてくださいました。スタンコーさんは、雪が降る頃まで墓地の清掃を続けてくださるそうです。

 

☆ハバロフスク中心街にある建築文化財鈴木宣平さんご提供の情報です。

教会

@      Градо-Хабаровский Собор Успения Божией Матери

至聖生神女(しょうしんじょ)就寝ハバロフスク特別区教会

ムラビヨフ・アムールスキー大通りの出発点、図書館の河寄り横のコムソモール広場にある。この広場は1922年の市民戦争(国内戦争)終了まではこの聖堂(サボール)があったのでサボールナヤ広場と呼ばれていた。この広場の名称は現在州政府からも許され、教会関係者は使っているのだが、市民にはコムソモール広場の名前の方が身についている。 この聖堂の建立を提唱したのはБрюснин А. Ф., 建立したのは弟のБрюснин В. Ф., しかし極東まで革命意識が浸透した1930年に撤去された。

 

A      Спасо-Преображенский Кафедральный Собор

救世主顕栄大聖堂

栄光広場(レーニン通りの出発点、ラジオ/テレビ会館側)。 

左から工業地区、ウスリー川、アムール河、中国方面を眺めるパノラマ景色は絶景。 内部のイコン、天井絵は威厳がある。2005年完成、歴史は無い。ソ連の崩壊、ロシアの蘇生(1991年末を境)以来急に信心深くなったロシア人の声を吸収するために州政府が建立。この教会の周囲に宗教関係機関を集約する計画。 教会行事予定は詳しく新聞に掲載。

 

B      Храм Святителя Иннокентия Иркутского

インノケンティ総主教・イルクーツク主教管区寺院。 ул. Тургенева, 73-б

   レーニンスタジアムの東側隣接、第4産院敷地内。 2001年建立。 

毎日夕べの鐘が連打されると近所を歩く信心深い歩行者は立ち止まり、十字を切ってうつむく。体育大学の並び、アムール並木道にある現在はプラネタリュームの建物は革命前まではインノケンチエフスカヤ教会だった(Церковь Иннокентиевская,1898年建立)。 

 

C      Христо-Рождественский Кафедральный Собор 

キリスト生誕教会

ул. Ленинградская, 65  ハバロフスク鉄道駅から徒歩5分。

Сабор Рождества Христоваとして1901年の建立時より市中で唯一社会主義時代も活動を続けてきた。大祭にはそれは大勢の人が集まる。空いている普段の日に訪れると、敷地内には教主の住居があり、経済困窮者、身体障害者がたむろ、寺院内には多数の本、イコン、天井絵があって、ローソクの立て方まで親切に教えてくれてロシア正教をインスタントに学べる。

 

D      Храм Святого Благоверного Князя Александра Невского

聖アレクサンドル・ニェフスキー大公教会

База КАФ, ул. Ясная, 24-а。 ハバロフスク市郊外、市電に乗って北地区住宅地を通り過ぎて終点下車徒歩5分。 

   正当のロシア正教主教管区(епархия)としてソ連邦時代も活動した。木造の趣きある建物。

 

誰が送る!?鈴木宣平さんからのご寄稿です。

   本誌19号(六花夏号)でキエフの平湯さん宛に日本語の古本を送るよう募ったので、言いだしっペのために実情を調べてみようと自ら実験台に成ってみた。

   7月12日、有志から戴いた古本の文庫本約30冊、目方にして4,046グラムをまず中央郵便局半地下にある小包受付へ持ち込んだところ、小包は食料および書籍以外の物資を扱う、書籍は上の書留受付に出せ、と言うばかりで受け付けてくれない。 価値は全部でも100ルーブルも無い古本だ、レンガの塊、メリケン粉と思って処理してくれ、5月にはA4用紙にプリントしたもの約1,200枚を国内向けだが小包として受け付けてくれたじゃないか、と猛抗議。 だけど係員はちらっと見ただけで書籍は上へ行けと一切受け付けてくれない。 仕方なく4キロもの古本を抱えて石の階段を上ったところにある広いホールの中央の一般郵便物の書留受付の窓口の行列の最後に並ぶ。 「小包」にせよと突き返してくれないかなぁと期待しつつ順番が来て、古本を見せると、目方を量り、重すぎる、半分づつ2通にせよ、と言う。 ウクライナは外国だ、外国向け郵便物として1通で扱ってくれ、と頼むと、向かいの右端の奥にこれを包むビニールの封筒を売っている、それに入れて封をして、あて先を明記して差し出せ、とのこと。 そのようにし終わるともう身体障害者、言語障害者の身にはフラフラ、普通郵便か、航空扱いか、と早口で問われつい「アビア」と言ってしまった。 局員が切手を手際よく貼ってくれて、最後に料金を告げられて唖然、1,515.70ルーブル! しまった! 古紙同然のものを「航空便」にするなんて! しかし「書留」の窓口に出せなんてヒドイ! おかげでこの日の昼食は自宅の前の学校の構内食堂、自棄(ヤケ)酒に500mlの缶ビールをこっそり持ち込んで、豪華に注文しまくってもビール代27ルーブルを込みで昼食代合計はたったの129.38ルーブルなのには平湯さんを二度恨んだ。 (完)


☆新聞拾い読み☆

盆栽は皿のうえの木

 ハバーロフスクの盆栽愛好家たちが最近クラブを結成したのをご存知ですか? もっとも今のところヴァーチャルなクラブですけれども。サイトに収められている記事、写真、プロのアドヴァイスは、初心者ばかりでなく、ちっちゃな木々を育てる芸術に長けた向きにとっても興味深いことでしょう。

 今日、世界中で盆栽熱が高まっています。盆栽愛好家たちは、それはたんに美しいばかりでなく、周囲の世界を知る助けとなる、とみなしています。というのも、さらに盛られた風景は環境の縮尺コピーであり、自宅で糸杉や石榴の木をじぶんの手で育てた人は世界の創造者とおなじことをしたのだから、と彼らは語っています。盆栽芸術について詳しく語るロシヤ語のホームページは少なく、もちろん、ハバーロフスクの愛好家たちの発意は、ロシヤのほかの地域の異国情緒好きたちのあいだでも関心も呼び起こしています。サイトのアドレスは、http://westaraorchids.narod.ru КЛУБ "КАМБРИЯ" です。

エレーナ・ミロネーンコ記者(20060819太平洋の星)

 

☆地元の学生さんたちのスピーチ 連載・第5回☆

 

心からアドバイス

 

ティマギナ・リューダ/ハバロフスク経済法律アカデミー

 

 皆さんは今、正しい人生を歩いていますか。今まで道を間違ったことがありますか。私は今、普通の人と同じような道を歩いていますが、それは間違いだったと思っています。今日はその間違いについてお話ししたいと思います。

 私は今、経済法律アカデミーの4年生で、専門は世界経済です。でも、実はあまり経済に興味がありません。芸術のほうが面白いと思っています。子どものとき、芸術を勉強し始めました。毎日歌のクラブへ行ったり、家へ帰って、ギターをひきながら歌の練習をしました。そして、絵をかくことがとても好きでした。人の面白い顔を見たら、必ず特別なノートにかいておきました。私にとって一番面白いのは、そのようなことです。ですから、芸術ではなく、経済の勉強を選んだのは私の失敗だったと思います。

 実は経済を勉強することは私の決めたことじゃありませんでした。父が決めたことです。父も私と同じように芸術に興味があります。父はずっと画家として働いていましたが、お金がぜんぜんありませんでしたから、生活をしたり、子供を育てたりするのが難しかったそうです。ですから、父は経済がわかる人はいい仕事ができるし、お金がたくさんもらえると思うようになりました。好きな仕事をするよりお金がたくさんもらえる仕事をするほうが大切だと思ったのです。私は芸術を勉強したかったですが、父は芸術家はお金がもらえないから、私に芸術を勉強させたくありませんでした。私にも自分の意見がありましたが、父の意見のほうが大切だと思いましたから、私は父の言うことを聞きました。

 私は両親がとても好きですから、いつも喜ばせたいと思っています。また、両親の家に住んで、両親からお金をもらっていますから、父の意見を聞かないで、芸術を勉強するのは両親にもしわけありませんでした。

 そういうわけで、私は学校を卒業してから、経済法律アカデミーに入学することになりました。アカデミーでの生活は気に入っています。アカデミーの友達はとてもいいし、先生は親切で、面白いです。そして、本もコンピュータもたくさんありますから、勉強しやすいです。でも、4年間経済を勉強しても、経済に興味が持てません。経済を理解するためには、たくさんのつまらないデータを覚えなければならないからです。そして、世界の経済がよく変わりますから、ぜんぶ覚えるのは大変です。ですから、私はひまな時間があったら、宿題をしないで、ギターをひいたり、絵をかいたりします。そういうことをしないで、経済の勉強ばかりしていると、悲しくなってしまいます。

 もちろん、父のほうが長く生きていますから、人生がよくわかります。私は人生についてまだよくわかりませんから、父のアドバイスがとても大切です。一方で、私の人生と父の人生はぜんぜん違いますから、父の意見だけを聞くのはまずいと思います。でも、父の意見を聞かないで、芸術を勉強したら、父との関係は悪くなるでしょう。私は父が言ったことを聞きましたから、父と関係はいいですが、私の中の気持ちがあまりよくなくなりました。将来経済の仕事をして、お金をたくさんもらっても、私はしあわせにならないかもしれません。逆に、私が芸術を勉強して、しあわせになったら、父もしあわせになると思います。私は父にとって大切な娘ですから。私と父のどちらの意見が正しかったかまだよくわかりませんが、今またそれを決めるチャンスがあったら、私は自分のアドバイスを聞こうと思っています。

 皆さん、人生で大切なことを選ぶときはだれのアドバイスを聞いたらいいですか。自分の心からのアドバイスですか、ほかの人のアドバイスですか。私はその答がまたわかりませんが、一つわかることは自分の心の声をよく聞いてくださいということです。


                                             ☆山下雅司さんの小説「時空の旅人」☆<連載第7回>

第弐章 時空の旅

 

其之 三

 

 

「そろそろ、息子が旅から戻る頃だ。満月頃までに戻る様に言ってある」

 と、夜空に浮かぶ円い月を見上げて呪術師のリストが呟いた。

「息子さんがいらしたのですか?今、何処に行っているのですか?」

 並んで夜空を見上げていた杉浦は訊ねた。

(部族と行動を共にしないリストの息子、マリーンとはどんな若者なのだろうか?)

 杉浦は行動を共にしない理由をリストに訊ねた。

「我々はこの地に定住してまだ日が浅い、集落の回りは知らない事だらけだ。近くは調べる事も簡単だが遠方は難しい。地形、動物、植物、そして近くに、他の一族の集落があるかどうかも知りたい事の一つだ」

 リストの言葉は当然の事だと思った。集落の存亡を作用し兼ね無い狩猟の縄張りを侵す事は、即、争いに繋がる大事な事だった。

 猛虎、日に千里を走ると言われているが、何日走れば裾野に辿り着けるだろうか?

 道とは言え無い荒れ果てた荒野と草原が、空と大地が交わる地平線からずーと続いて広がっている。一族が南に向かい歩んで来た、気の遠くなりそうな太古の道であった。

 やっと理想の地に辿り着いた処であった。獣を追い木の実を求めて旅を続けて来た一族であった。リストの心配は当然の事だと思われた。

 この地を定住地と定めた村領のハグマーは、定住を定める時の古来の仕来たり通り、立地の環境と同様に、重要な要素の一つに聖域を示す場所の制定があつた。

 その場所を定める為の、方角や地質の調査は、呪術師リストの仕事であった。

 それは星を見る事から始まった。日の入り、月の出を調べ、何やら昔から受け継がれた伝統とも言える慣習があるらしい。その為の夜空の観測であった。

「未知の世界に憧れ、若者は喜んで冒険の旅に出る。若い頃の私もそうだった」

 そう言うと、昔を懐かしむ様に微笑んだ。

(息子、マリーンとはどんな若者なのだろう?)

 月も星も風も、潮の流れさえも読む事が出来ると言う若者に、非常に大きな興味が沸いて来ていた。その息子とも、後数日で会えると言う。楽しみだった。

(季節は夏のだろうか?)

 南南東の上空、天の川に浸っている様に、射手座の南斗六星が見える。

 東京暮らしでは、夜空の星座を見上げるなんて思いも寄らぬ事であった。

 

 二日後の黄昏迫る頃、マリーンが帰ったとの知らせが、吹き抜ける風の様に瞬く間に村中に伝わり、村人は集落の中心にある広場に集まり到着を待ち焦がれていた。

 やがて沈む夕日を背に、二つの小さな人影が地平線の彼方の草原に現れた。

 夕日の影法師が手前に長く伸びている。瞬く間に二つの人影は集落の外れに近づいて来た。逆光で姿形は良く判るが、顔は影となり判ら無い。

 小高い丘の上からこれを眺めていた杉浦は、一目でマリーンと知れる若者は、思いのほか細身の身体だが、背は高く赤銅色に日に焼けた引き締まった強靱な筋肉質の身体に、父親と同じ様な刺青をしているのを認めた。顔中髭だらけだが、若者らしい清々しさが感じられる。獣の衣を纏い腰に巻いた太い荒縄が、如何にもこの時代の若者と言う気がした。

 マリーンは供の男に何か話しかけている様だった。供のその男はこの時代では、何処と無くひ弱に感じられた。色は白くこの時代では珍しく腹が多少突き出ていた。着ている物は同じ獣の皮だが、身体に馴染んでい無くて様になっていなかった。

 髪も髭も伸び放題だったが短く、何とも言えない違和感が感じられた。陽焼けしてはいたが、赤銅色とは程遠く肌の色も違って見えた。

 村人が噂しあっている。どうやらこの集落の人間では無い様だった。 

 さして恐れている風でも無く、マリーンの後ろに控えていると言う感じだった。

 広場の中央で待つ、村領のハグマー始め、呪術師のリスト他、集落の主立った者達の前に来て、マリーンは一礼すると無事に村に帰れた事の喜びの報告をした。

 そして後ろの男を振り返り、村領のハグマーに紹介した。

「海で気を失い漂流していた処を拾い上げて筏に乗せ、一緒に村に連れ帰りました。我々の言葉は判らないようです」

 マリーンの話にハグマーは頷き、男を正面から真っ直ぐ見つめた。

 杉浦にはマリーンが連れて来た男は、どう見てもこの世界の人間では無い様な気がした。 黒い髪の長さ、日焼けしてない肌の色、身体付きもこの世界の人間としては、何処と無く強靱さは見られず、むしろ、年寄り臭く弱々しく感じられる。

(もしかしたら、同じ世界の人間では無いだろうか?)

 何処と無く東南アジア系の人種のように見えた。

「何処から来たの?」

 杉浦は人囲いの後ろから、其の男に英語で話しかけた。

「二〇世紀」

 其の男は突然の英語の問いかけに、無意識に英語で答えた。

 そして、気付き、驚いた様子で振り返った。

 

「それにしても紀元前の世界に居るなんて信じられませんね」

 と、杉浦は高木の話を聞いて呟いた。

 先程、高木はこの集落に来るまでの出来事を、総て杉浦に話したのだった。

 洋上の筏の上で気がついた事から、其の筏の主のマリーンと言う若者とは、テレパシーによる会話が可能な事、海上から見えた島影に描かれた白い文様。近づいて見れば、入り江の島肌に彫られた大きな地上絵だった事。その文様はブリテン諸島のイングランドにある、アヒントンの白馬と呼ばれる地上絵に似ていた事。其処から導き出される時代背景は、紀元前の世界らしいと考えている事などであった。

「突然、英語で話しかけられた時は驚いたね。紀元前の世界に、英語を話す人が居るのかと気がついて、筏の上で目覚めた時以上の驚きだった」

「何か、土地の人とは雰囲気や髪型が違っていたし、ひょっとして、同じ飛行機に乗り合わせた乗客では無いかと考えたもので、東南アジア系の人だと思い英語で話しかけました。日本人だと判り、私の方こそ驚きました」

 杉浦もあの時の事を思い出して、笑いながら答えた。

「それにしても、起元前の世界に居るなんて今でも信じられませんよ」

 と、再び杉浦は呟いた。先程の高木の話によると、今いる世界は有史以前のブリテン諸島で、起元前二〇〇〇年頃の新石器時代に迷い込んだと言う事らしい。

「何かの原因で、過去の世界に迷い込んだと言う事ですか?私達はタイムトラベルをしたと言う事ですか?」

 余りにも考えられない出来事に、思わず杉浦は高木に確認を取る様な、会話になってしまっていた。信じられない話だった。

「私はロンドンのヒースロー空港より国内線の飛行機に乗り、シェットランド諸島の、ラーウィックの町に向かっている洋上で、突然の嵐に合い天に轟く落雷の音と共に、厚い雨雲を切り裂く稲妻を見た事までは覚えているのですが・・・。その後、気がついた時は、洋上のみすぼらしい筏の上でした」

 と、高木は答えながら、

(そんな事が有り得るのだろうか?)

 と、考えていた。

 確かに飛行機と言う乗物は、時間と空間の中を飛んでいる乗物には違いないが・・・

(タイムトラベル等と言う、時空の移動が可能なのだろうか?)

 そんな思いも浮かんで、すぐ消えた。

「私の場合は北極圏上空を順調に飛行中に、ふと目覚めて窓の下を見ると薄黄緑色のオーロラに気がつきました。眼下に広がる神秘的な光の帯に見取れておりました。光の帯が薄桃色に変わり、飛行機を包み込んだような気がしました。丁度、映画を上映中だったので、オーロラに気がついた人は、私以外いない様でした。私が覚えているのはそこ迄です」

 と、杉浦も自分の意識の消える前の状況を高木に話した。

 杉浦が納得出来ない事はまだあった。

 それは次に気がついた時は、荒野の中にある一本の老木に引っかかっていた所を助けられた様で、其の帰路の途中の若者の背中で気が付いた。不思議な事はこの村の人々が私を知っていると言う事だった。それは杉浦英一と言う人間としてではなく、以前からこの村で暮らしている村人の一人としてと言う事だった。

「タイムトラベル等と言う様な、夢の様な現象が起こりうる事なのでしょうか?」

「理論的には考えられると言う事だが、現実問題としてどうかな?いろいろと問題があるみたいだよ。以前、ある科学雑誌で読んだ事があるのだが、特殊相対性理論とか言うらしい理論だけど、時間は空間と密接に関連していて、時間と空間が融合した四次元の時空を作っているらしくて、時間や空間は、その中に存在する物質やエネルギーで、変化するらしい。何でも『ゲーテルの時空』とか言われている様子だが・・・」

 高木は雑誌で読んだ事を要約して分かり易く話した。

「私達はその時空を移動したと言う事ですか?」

 杉浦は判った様な顔をして、再び問いかけた。

「時空には抜け道があって、ワームホールと呼ばれる処を通って、移動出来ると言われている。ワームホールとは、時空の異なった二つの地点を結ぶ、抜け道と言われている処らしく、時空を抜けるには時空を曲げる力が必要らしい」

「私達が経験した稲妻やオーロラ現象は、その時空を曲げる力となったエネルギーと考える事は出来ないでしようか?」

 案外、問題を短絡的に考えている様に、又しても先取りする形で杉浦が言う。

「タイムトラベルが理論的に可能だと言うことは判りましたが、もとの所に戻るにはどうすればいいのですか?」

「そこだよねぇ・・・問題は・・・」

 と、言いながら高木は焚火に薪を加えた。

 何かを思案しながら、考えが纏まらない様子が見えた。

 燃え盛る囲炉裏の火を、じっと眺めている。杉浦は其の様子を眺めながら、話を促す様に高木の目をのぞき込んだ。

「ワームホールと言う処は、ブラックホールの様な処と考えられていて、入り込んだら閉じ込められて、其処から出る事の出来ない蟻地獄の穴の様な処と言われている」

「それは戻れないと言う事では無いですか?ワームホールは二つの時空を結ぶ抜け道と、先程、高木さんは言いました。もしワームホールが、ブラックホールの様な出口の無い蟻地獄の入り口なら、私達はこんな場所に居るはずがありません。現実問題として、世にも不思議な体験をして、有史以前の世界らしき処で焚火を囲み、こんな話をしていると言う事実を考えると、ワームポールには出口はあると考えるのが、現実的な考えでは無いでしょうか?」

 杉浦の話は、尤もな理に叶った論理だった。

「時空の抜け道のワームホールの入り口が、二〇世紀より紀元前の二〇〇〇年の時代に、大きな時空の流れの渦となり、繋がっていたと言う事なのだろうか?」

 夢の様なこの不思議な現象を、現実のものとして信じられないが、認めない訳には行かず、自分に話しかけるように高木は呟いた。

「今思うに、不思議の国のアリスの冒険は、まさに、タイムトラベルでは無かったのでしょうか?あの懐中時計を持った白兎の兎穴は、ワームホールへのタイムトラベルの入り口だった。下降を続けるアリスは、色々な景色の断片を見ながら下降する。兎穴を下降すると言う事は、時空の抜け道を通り異次元の世界に移動する、ワームホールだったと言う事です。不思議の国は、異次元の世界でのアリスの体験だったのですね。タイムトラベル物語だった訳だ。それで白兎の持つ懐中時計の意味も納得できる」

 得意になって話す杉浦の話を聞きながら、アリスの様に夢から覚めて、二〇世紀の世界に戻れる物なら、どんなにか素晴らしいだろうと高木は思った。

 

(次号につづく)


  

展覧会のご案内

 

◎ニコラーイ&スヴャトスラーフ・リョーリヒ(レーリヒ)絵画展《父と子》

会場/極東国立博物館(ハバーロフスク地方郷土誌博物館)(シェフチェーンコ通り11。31-20-54) 

期間/2006年10月5日〜2007年1月24日。

開館/10時、閉館/18時、休館/月曜日。(以上、10月3日付の新聞「太平洋の星」の情報です。)

ニコラーイ・リョーリヒ(1874-1947):ロシヤの画家、舞台美術家、考古学者、作家、文化財保護運動提唱者。古代ロシヤの歴史や伝説、インドやチベットの自然や神話を題材にした作品を制作。1920年代よりインド在住。インド・チベット文化研究者。

スヴャトスラーフ・リョーリヒ(1904-1993):ニコラーイの息子。画家。肖像画、風景画、様式の点で父親の後期の作品に近い作品を制作。

 

関連サイト

http://www.roerich.org/ ニコライ・リョーリヒ・ミュージアム(ニューヨーク)

http://www.roerich-museum.ru/ リョーリヒ家・国際センター&N.K.リョーリヒ記念博物館(モスクヴァ)

http://www.litera.ru/stixiya/authors/rerix.html ニコラーイ・リョーリヒの詩篇

 






鳥の詩

前号では野鳥についてのすてきな記事と写真をお寄せいただきましたが、今年の9月25日が生誕100周年でした作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴイチが曲をつけて声楽曲にしたイヴァーン・クルィローフ(1769-1844)の『ロバとヨナキツグミ(Осел и Соловей)』というこんな寓話詩に図書館で出会いました。

  

ロバがヨナキツグミを見かけて

こう言います。「やあ、友よ!

おまえさんはたいそう歌が上手なんだってね。

ぜひひとつ

おまえさんの歌を聴かせてもらいたいものだ、

そのうまさがたいしたもので本物かどうか」

そこでヨナキツグミはじぶんの芸を披露しはじめました。

ちっちっと啼き、ぴいぴいとさえずり

いろんなふうに、音をのばし、調子をかえていました。

やさしく声が弱まり

かなしい笛のようにとおくに響くかと思えば

小刻みな音がとつぜん林に響きわたるのでした。

すべてのものがそのとき耳を傾けていました

曙の女神アウロラのお気に入りの歌い手に。

風は静まり、鳥たちの合唱は止み、

家畜の群は横になりました。

牧夫は、かすかに息をしながらうっとりし、

ときどき、

ヨナキツグミに耳を傾けながら女牧夫にほほえんでいました。

歌い手はうたい終えました。ロバは、おでこを地面に向けたままこう言います。

「たいしたものだ、ほんとうに、

おまえさんの歌は退屈しないで聴けるよ。

でも残念だな、おまえさんが

うちらのおん鶏を知らなくて。

大将にちょっと習っていたら

おまえさんはもっと上手くなっていたろうに」

こうした裁きを聴いて、わが哀れなヨナキツグミは

さっと舞い上がり、はるかかなたへ飛んでいってしまいました。

 

神様、どうか私たちをそのような裁きから守りたまえ!

 

新聞拾い読み

快適に乗って行きましょう

 10月半ばからハバーロフスクとアムール州の州都ブラゴヴェーシチェンスクを結ぶ急行列車《アムール・エクスプレス》の運行が始まります。所要時間は、13〜14時間。途中の停車駅は、ビロビジャーン、イズヴェストコーヴァヤ、アルハラー、ブレヤー、ベロゴールスクです。
(20060912太平洋の星)

 

《古参たち》に替わって

 新しいロシヤの飛行機AN-140が、ヤクーツク-ハバーロフスク間で、乗客を乗せた最初のフライトを行いました。ハバーロフスクに着陸した直後に記者たちと会見した会社《ヤクートアヴィア》の幹部および乗員たちの評価によりますと、AN-140は、飛行技術的特性において同様のクラスのすべての飛行機を凌駕しており、騒音およびエコロジー性のレヴェルに関する国際的要求基準に合致しています。この飛行機は、52の乗客を運ぶことができ、未舗装のものをふくむ短い滑走路での離着陸が可能で、燃費もたいへんよいということです。AN-140は、国内の地方路線において、老朽化しつつあるAN-24その他の同様のタイプの飛行機に取って代わります。
イタール・タス通信(20061003沿アムール報知)

 

ロシヤへ! ジャガイモを掘りに!

 うわさによりますと、ハバーロフスクに、日本の市民がそのメンバーとなったロシヤで最初の園芸非営利組合《サクラ》がお目見えしました。最近、年配の日本人には蚊に指されながらもジャガイモを掘るという余暇の過ごし方が人気だそうです。ロシヤの家庭菜園を訪れるダーチャツアーは隣国日本の方たちにとってエキゾチックです。日本は土地が高く、家庭菜園用の土地を買うことは庶民には贅沢です。なんでも、東京からのツアーグループは、このたびのハバーロフスク訪問の際に草の生い茂ったロシヤの広い土地を目にして、ヘフツィールに、大根、稲、トウモロコシ、サクラ、そして、お気に入りのジャガイモを植える土地を賃借りし、目下、鋤や鍬の扱い方を学んでいるとか。けれども、収穫を育てるよりもそれを泥棒から守るほうがたいへんです。日本の方たちは、鉄筋コンクリートの柵の代わりに棘の生えたブラックベリーの生垣を植えてこの問題をクリヤーしようとしているそうです。
20060902太平洋の星)

 

新潟の果物

 ハバーロフスクの姉妹都市、新潟の農業生産者たちは、じぶんたちの製品を販売するためのハバーロフスクの市場の開拓に関心をいだいています。ハバーロフスク市行政府報道係が明らかにしたところによりますと、新潟県の行政府および農業協会の代表たちで構成される代表団が、極東の中心都市、ハバーロフスクを訪れました。代表団は、梨とモモを運んできて、ハバーロフスクのとあるショッピングセンターでそれらの試食販売が行われました。万事順調なのですが、玉に瑕なのが、半分以上が空輸に費やされてしまう高い価格です。そのため、ハバーロフスク市役所での会合では、海洋船舶によるコンテナ輸送の組織の可能性が協議されました。新潟の農業会社は、当面、10月から12月にかけては、消費者の需要を評価するために、さまざまな価格のカテゴリーの果物をハバーロフスクに供給します。
(20060926太平洋の星)

 

新潟が呼び招く

 新潟の9つの会社が、ハバーロフスクでの博覧会《中小ビジネス2006》および《バービエ・レータ2006》に参加しました。ハバーロフスクっ子たちは、極東軍管区ロシヤ軍将校会館で新潟とハバーロフスクの姉妹都市提携40周年にちなんだ物産展が催された2005年10月に、日本の会社数社の製品を知ることができました。今回、ハバーロフスク市の住民たちは、博覧会でさまざまな製品を目にしました。一方、ロシヤの企業家たちは、今年11月に開催される恒例の博覧会《ニイガタ・ビジネス・メッセ》でじぶんたちの企業を紹介します。新潟市は、展示場所の使用料を負担する考えです。
マリーヤ・チシノーヴァ記者(20060913沿アムール報知)

 

5羽のカモと2羽のガン

8月25日18時、ハバーロフスク地方で水鳥猟のシーズンが始まりました。ハバーロフスク市の猟人釣人協会で明らかにされたところによりますと、狩猟の愛好者たちはライセンスの購入を急いでおらず、いつもながら、それをぎりぎりまで先延ばしにしています。ライセンスの料金はわずか250ルーブリ(1000円ちょっと)です。猟は、一人1日、ガンは2羽、カモは5羽まで、シギやハトは無制限です。ハンターたちの話によりますと、このノルマをいつも遂行できるとは限りません。去年は、ハバーロフスク市のほぼ1500人がそうしたライセンスを購入しました。観光スポーツレジャー発展センター《オルジェーイヌイ・ドヴォール》の経営者、オレーグ・パクさんの話しによりますと、ハンティング好きたちは、カモやガンを撃つための滑腔銃、装備、狩猟用具一式を買い揃えており、10月31日からはキジ猟のシーズンが始まる、ということです。
アルチョーム・シャラーヴィン記者(20060825沿アムール報知)


☆六花版/HPの

http://www.openkremlin.ru ヴァーチャルなクレムリン・ツアーへ。(2006年7月13日付「イズヴェースチヤ」紙の情報です。)

http://homepage.mac.com/toshihak/sentatsu/t3000.html 落語ファン・ミルクの寄席めぐり&旅のエッセイ「ミルク亭」。ウラジオストック日記、掲載されています!  

http://music.geocities.jp/bassdomra/ ♪バラライカ・アンサンブル・ポーレ。ロシヤ民族楽器の演奏を通して温かな日露交流の橋を架けるつづける楽団。

http://www.kmscity.ru ハバロフスク地方コムソモーリスク・ナ・アムーレ市行政府のサイト。このサイトは、同市の創建75周年の準備の枠内で開設されたものです。市の憲章や市役所の機構などに関する公式の情報や役に立つ情報が掲載されています。このほか、より規模の小さいサイト  http://www.kmsinfo.ru や食品の宅配注文のサイト http://www.eda.kms.ruもあります。(6月20日付「太平洋の星」情報です。)

http://www.sovgavan-rayon.ru ハバロフスク地方ソヴェーツカヤ・ガーヴァニ地区のサイト。(6月1日付・新聞「太平洋の星」情報です。)

http://plaza.rakuten.co.jp/sovgavani/diary/ ロシア超極東日記。ソフガヴァニ在住の当会会員、久保田浩一さんのすてきなブログです。タタール海峡に面する港町の温かな息づかいが伝わってきます。

http://www.khabarovsk.kht.ru ハバロフスク市行政府。

http://www.adm.khv.ru ハバロフスク地方政府

http://www.adm.sakhalin.ru サハリーン州行政府。

http://www.primorsky.ru 沿海地方行政府。

http://samurai.hobby-web.net/2/ 極東国立人文大学日本語学科4年生ホームページ。

http://habaro.blog54.fc2.com 当会OBの太田丈博さんのブログ「ハバロフスクを熱く語ろう」

http://yokuryu.huu.cc/ シベリヤ抑留者名簿(作成者・村山常雄さんtmura@nou.ne.jp

http://www.geocitiesjp/urajionihon/top.htm ウラジオストク日本人会。お隣さんウラジオの今が見えてくる。掲示板での情報交換もなにやら楽しそう。

http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/ 在ハバロフスク日本総領事館。当地の情報満載。

http://www.vor.ru/japanese.htm ロシヤ国営ラヂオ局「ロシヤの声」日本語放送。

http://hisgan.fc2web.com 「六花」のバックナンバーが読めるサイ

http://hisada.blog3.fc2.com/ 上記サイトの管理人、Кудаさんのブログ。 

☆ラヂオのある暮らし☆

◎「NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・周波数表(2006年03月26日〜2006年10月29日)


◎ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・周波数表(2006年10月29日〜2007年3月24日)

  日本時間 21.00-22.00  短波 5940 5995 / 22.00-23.00  短波5940 5995 6005(kHz)

 * HPアドレスは、http://www.vor.ru 。インターネット放送もお楽しみいただけます。

 *リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/

 

* ハバロフスク支局では番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。
21-41-07か32-45-46 / 岡田)

 

【編集後記】日本人会会報・季刊「六花」は、今20号で、創刊5周年を迎えました。正直のところ、こんなに続くとは思ってもみませんでした。すてきな原稿をお寄せくださったみなさま、ご助言やご声援をくださった読者のみなさまに、深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。編集にご参加ご協力くださる方をお待ちしております! なお、次号の原稿の締切りは、2006年12月末日です。趣味のお話し、イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイなど、お気軽に編集担当(岡田)までお寄せください。(職場32-45-46自宅п彦ax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru。それではみなさま、どうぞお元気に素敵な秋をお過ごしになられますよう!



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