六花(РИККА)冬(17)号

バロフスク日本人会会報    りっか 六 花 рикка      2006冬・Vol.17


*楽しかった忘年会・2005年12月2日(金)ダリレオレストランにて*
 

*日露の神学生初の交流* 〜高山嘉津子さんからのご寄稿〜


 去る11月7日から14日までの一週間、柏崎市にあります「新潟聖書学院」の院長、教師、神学生ら11名が、ハバロフスクの北地区にあります極東ロシア聖書大学のロシア人神学生との交流のためハバロフスクを訪れました。この極東ロシア聖書大学は'93年に開校以来、150名以上の卒業生を送り出し、この広大な全極東地域において、教会を開拓し牧師として、宣教師として聖書を人々に教え、伝道活動を行っています。またソ連時代に信仰の故に教育を受けられなかった現役ロシア人牧師たちの教育の向上のために特別コースを設けたり、教会音楽の教育にも力を注ぎ、音楽指導も行っています。この神学校は北米からの支援によって建てられましたが、今回日本の神学校が公式に訪問できたことは、新しい歴史の1ページとなりました。

雪の多い柏崎からの訪問者たちは、日本の真冬に相当する防寒具を着込んで来ロしましたが、それでも風の強い日は悲鳴をあげていました。しかしまだ11月初旬、これから尚厳しくなる冬を想像もつかない、と言っておられました。

ある時、日・米・露の若者の集会で、日本人はアメリカ人をどう見ているのか、アメリカ人はロシア人をどう見ているのか、ロシア人は日本人をどう見ているのか、ということを、短いスキットで表現してほしいと言われたそうです。考える時間は15分。新潟聖書学院の神学生たちは、マクドナルドなど何でもアメリカはビッグサイズ、物も人も家も国もビッグだ、ということを表現したそうですが、さてロシア人はどう日本を表現したと思いますか?10人のロシア人たち(父親役、母親役、それに8人の子供たち)が床に正座しての食卓のシーンから始まり、間違えてこぼした子を父親が叱り、その子から順番に「ハラキリ」をしていく、というものだったそうです。最後は母親も、父親もハラキリをして幕が閉じる、ということで日本を表現したそうです。昨今のサムライ映画の影響でしょうか・・・?

またある時は、大学で「実践的な宣教」という講義がなされた後の昼食の時間に、日本文化を学びながら、日本風に日本食をお箸を使って座布団に座りながら食べる、という時間が持たれました。材木を使って実際に、大きなテーブルを事前にロシア人神学生が作りました。総勢26人が、大きなテーブルを囲んで座りました。座布団は実際にはないので、枕でしたが、普段使っている教室が、日本の食卓に変わりました。

学院長が日本文化を紹介しながら、全くお箸は初めて、というロシア人たちがほとんどでしたが、みんな頑張ってお箸で食事をしました。ちなみにメニューは、肉じゃが(キッコーマン醤油を使用)、白いご飯(中国米)、大根とワカメの味噌汁(日本の味噌を使用)、きゅうり、大根、人参などの漬物でした。それにお茶と食後にみかんでした。(ハレッブ禁止令を出しました)裏話として、この日の昼食は40人分を私が中心になって大学の食堂で作りました。実はすでにメニューを決めた時、その日の当番となるロシア人のベラさんに実際に家で作ったものを彼女のところに持って行って試食をしてもらっていました。そして彼女の指示で、40人分なら材料はこれくらい必要だろう、ということになったのですが、なんと当日彼女は病気で休んでしまったのです。

漬物は前日に用意して冷蔵庫に入れておいたので問題なかったのですが、それ以外のものは、ベラさんのピンチヒッターといっても、食堂で働いているわけではない2人のロシア人と私というメンバー。私はもちろんのこと、3人が3人共、40人分、しかも慣れない大学の食堂での料理でした。最終的にはなんとか日本食を食べてもらうことができましたが、慣れないロシア人たちが、慣れない白いご飯を炊くのに、何度も蓋を開けて沸騰しているかどうかを確かめ、しかも沸騰した後にも、何度も炊き具合を見るため蓋を開ける始末。大きな鍋で炊いたのですが、ところどころ芯の残ってしまった部分が・・・。

ご飯と肉じゃがの出来に心を捕らえられていたこともあり、またお茶のためにこれまた大きな鍋でお湯を沸かしていたこともあり、食卓に上がったお味噌汁がすっかり冷え切ってしまっていたとは、思いもしなかったのでびっくりしてしまいました。学院長が「お味噌汁は普通は温かいものなのです」と言い添える一幕もありました。

新潟聖書学院の一行がクリスチャンラジオ放送(1188AM)に生出演したことも、素晴らしい体験となりました。ふだんロシア語しか聞こえてこないラジオから、日本語の賛美歌や日本語が聞こえてきて、私たちも熱心に耳を傾けました。

みなさんが、明るく前向きにどんなことも楽しんで取り組んでおられたことが、私にはとても印象的でした。2人は海外が初めて、という人がいましたが、「鉄格子もいろいろな模様があるんですね。かわいい模様もありますね。」と、私にはその柔軟な受け取り方に新鮮さを感じました。ロシア人神学生の印象についても、「みなさんとても紳士的で優しい方々ばかり」というものでした。

この日本とロシアの神学生同士の間に初めて架けられた橋が、今後どのような形で展開し発展していくのか期待しているところです。


在ハの日本人女性で、クラリネットを中一の娘に教えられる方はいませんか?半年ほどほぼ独学の状態で試行錯誤しています。基礎を教えられる方、ご連絡ください。電話74−1664takayama@mail.redcom.ru(高山)

・中央市場の建物の中で、キムチ売り場の一角に日本語のできるサハリン出身の「たまらさん」がいるのは、ご存知の方が多いかと思いますが、新しく着任された方には朗報です。豆腐・もやし・太巻きなどは普段から購入できますが、年末年始には伸し餅を予約受け付けしてくださるそうです。お米も中国米ですが比較的きれいな米も2,3キロと小分けでの販売もしてくれます。事前に電話すれば用意しておくとのことです。電話34−6945(たまらさん)

・どなたかコンピューターに詳しい方はいらっしゃいませんか?うちの東芝ノートパソコン、ウィンドウズXPが不調で困っています。インターネット、メールの送受信、その他の問題を抱えています。ご一報ください。電話74−1664 takayama@mail.redcom.ru(高山)


六花版/HPの森

http://plaza.rakuten.co.jp/sovgavani/diary/ ロシア超極東日記。当会会員、久保田浩一さん(ソフガヴァニ在住)のすてきなブログです。タタール海峡に面する港町の温かな息づかいが伝わってきます。
http://blogs.mail.ru プログのサーヴィスがスタート。(11月29日「イズヴェースチヤ」紙の情報)
http://www.dvtu.vladivostok.ru 極東税関のサイト。輸入車価格ミニカタログにアクセスできるそうです。(11月30日「沿アムール報知」紙の情報)
http://www.geocitiesjp/urajionihon/top.htm ウラジオストク日本人会。お隣さんウラジオの今が見えてくる。掲示板での情報交換もなにやら楽しそう。
http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/ 在ハバロフスク日本総領事館。当地の情報満載。
http://www.vor.ru/japanese.htm ロシヤ国営ラヂオ局「ロシヤの声」日本語放送。
http://homepage.mac.com/toshihak/sentatsu/t3000.html 落語ファン・ミルクの寄席めぐり&旅のエッセイ「ミルク亭」。ムールマンスクやコーカサス、最新版はハルピン&内モンゴルの旅!   
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http://hisada.blog3.fc2.com/ 上記サイトの管理人、Кудаさんのブログ。 


地元の学生さんたちのスピーチ 連載・第2回


電話のテロ

プリティチェンコ・タチアナ/ハバロフスク国立経済法律アカデー

 毎日テレビを付けると、世界で起こっているたくさんのできごとについて知ることができます。よくいろいろな国のテロや天災の報道が私たちの注意を引きます。このようなニュースを聞いて、私たちはおどろいたり、心配したりします。しかし私たちもこのような事態にかかわるかもしれないということをあまり考えません。
 2003年の秋にハバロフスクに電話のテロの波が来ました。ある人が電話して建物の中にばくだんがあること知らせました。電話のテロの数について私たちの大学はハバロフスクで一番になりました。初めて電話があった時私たちはとても真剣に反応しました。みんなが外に出た後でけいさつが来てアカデミーの建物を三時間調べました。でもばくだんは見つかりませんでした。後になって電話の呼び出しは普通のことになりました。だれもばくはつの可能性について考えませんでした。学生は急がないで外に出るようになりました。けいさつは電話をかける人をなかなか見つけることができませんでした。ですから電話のテロは続きました。でも2004年の11月やっとアカデミーのけいびいんが犯人を捕まえました。犯人は一年生の女子学生でした。
 この学生は五回の電話をかけたことを認めましたが、ほかの電話はだれがしたかまだ分かりません。犯人は大学生ですか。それとも本当のテロリストですか。大学生のいたずらだったかもしれませんが、もしかしたら本当のテロリストだったかも知れません。
 2004年9月1日に大変なニュースがありました。ビスランの町でテロリストが学校を侵略したのです。世界中の人がショックを受けました。たくさん人が死んで、ビスランだけでなく世界の人たちが悲しみました。私はよくこのひげきについて考えます。どうして人たちはそんなざんこくなことをすることができるのでしょうか。どうすればこのようなことを予防することができたでしょうか。
 昔、ロシアの作家クリロフは羊かいと狼についての寓話を書きました。若い羊かいはある日退屈になったのでいたずらをしました。「狼が来た!」と叫んだのです。村人はたすけに行きましたがいたずらだと知って、ふまんになって家へ帰りました。次の日も同じことがありました。その次の日、羊かいは本当に狼を見ました。村人は叫び声を聞いても羊かいをたすけに行きませんでした。いたずらだと思ったからです。その結果、狼は羊かいと羊を食べてしまいました。
 私たちもこの村人のようにいたずらに慣れてしまいました。電話のテロがあってもいたずらだと思って急ぎません。しかし、いつ本当のテロがあるか分かりません。ですから私たちは私たちの町で起こっていることにもっと注意をむけてもっと真剣に考えなければならないと思います。



となり合う人の命に対して責任を・・・

アンガルスカヤ・タチヤナ/極東国立人文大学

 現在世の中で死亡率が高くなり、出生率がひくくなりました。ロシアでは一月から二月まで出生した人は23万3千人ですが死亡した人は40万1千人になりました。ここ8年来に自殺した人は50万人です。そして悲しいことにたくさん才能のある人が自殺しました。だから自殺の問題はとうめん深刻な問題だと思います。自殺は社会的な現象です。巨大都市にすんでいる人が自然から遠ざかって、心の調和を失います。その違和感は自殺の原因になります。自殺はいつわりのドラマのようなことだと言う人もいます。また自殺を精神の病の人だけすることと思っている日ともいます。しかし統計によると20%の自殺者が精神を病んでいる人々ですが、そのほかの80%の自殺者が特に精神に問題のない人々です。自殺の原因は何でしょうか・・・ 自殺の原因はたくさんあります。そのうちの一つで私にとってとても身近なのは失恋です。失恋した人が自分は不必要だと感じてとても不幸になります。たとえば、五年前私の学校で勉強していたある女性が自殺をしました。失恋したからです。ともだちがこの女性の恋の苦しみに全く気づいていませんでしたので・・・
 ティーンエージャーの過渡的年齢に感受性が非常に強くなります。ロシアでは、過渡的年齢は自殺の時期とも言えます。この時期のわかものにとって自己確立がとても大切です。人生の試練にさらされて、行き詰まります。そういう困難な時には、家族や友人など、周りの人々の支援が必要です。大人のばあいは、失業のせいで心の安定を失うこともあります。特に男性が強い劣等感や失望、絶望を抱いて、自殺をしています。ふりょの事故も生活がすっかりかえられてしまい、自殺を招くこともあります。たとえば、私は事故にあった人を知っています。この人は一生体が不自由になりました。この人は以前のような生活ができないと絶望して、自殺をしようとしました。でも、毎日ともだちがこの人を助け、支えました。友人と話したり、相談をしたりしました。だんだんこの人は自分の中に新しい才能を見つけてきました。したしい人と強い意志のおかげでなんと、この人は画家になりました。この人のように意志の強い人になる力を人間は皆持っているのではないでしょうか。
 私は困難に直面する時この人のことを思い出すと不安がなくなります。この画家の状態と比べると私の問題がそれほど重要ではないことが分かります。もう一つわかったことは私たち人間は、心の中にのぞみをつないでいけば彼のようにいつでも困難な状況を脱することができるということです。
 皆さんは毎日多大なストレスをうけています。身の周りの雑事のせいで心の平静を失いやすくなります。こんなとき、困難に直面した人のために家族や周りの人などの援助が必要です。人間はゆううつになりやすく、そう簡単に気分をかえることもできません。普通、親しい人の無関心と無理解は自殺の原因になります。友人とご家族の人はゆううつになったら注意してください。
 私たちはとなり合う人の命に対して責任があるのですから・・・

山下雅司さんの小説「時空の旅人」連載第4回(第壱章 歪んだ時空 其之四『コンタクト』の続き)

先程から、誰かに見つめられている様な気配が感じられる。
 後をつけられている様な気がしてならない。
 はじめは羆熊かとも思ったが、二人の人間の後を付ける、などとは考えられなかった。
 確かに気配は感じられるのだが姿を現さない。気配を感じさせても、姿を見せないと言う事は、見張られていると言うより、観察されているような感じだった。
 獣や人間でない様な気がした時、思わず当りを見回して身震いした。
 丁度そのとき相棒と目が合った、奴も異状に気がついていた。
(どうする?)
 見つめあった目が、其を物がたって居た。辺りに気を配り注意深く進んだ。
 木立を抜けて沼の辺にでた。
 男の眼に不思議な文様を刻んだ立石が見えた。
 近づいて見ると巨石とも言える大きな石だった。
 幅一メートル、高さ三メートルはある、三つの文様が描かれていた。
 石は自然石で、でこぼこした表面に彫り込まれているようだ。
 一番上の絵は魚の絵だと判る。二番目は、三日月に折れた矢の様なものがブイ字型に絡みついている。判らないのは三番目の文様だった。獣のようなものが描かれ、それが宙に浮いているようにも見える不思議な文様だった。
 明らかに人間が彫った物で、この辺りには人々が住んでいると言う事だった。
 流れ者には、他人の縄張りに踏み込むことは危険だった。
 その時、突然、目の前に映画の画面から飛び出す様に、岩陰から現れた二つの人影に似た映像が男達の目の前に現れた。
 その映像は男達の眼には、ぼやけた光りの中で銀色に輝いている。
 霧雨が降っているので、太陽の光の反射で光っているのでは無い事が分かる。
 闇夜に光る人魂みたいな無気味な光を放っているが、襲うつもりはないらしい。
 襲って来るものでなければ、何も恐れることは無い。
 腹の足しになる物でなければ、こちらも襲うつもりは無い。
 男達は獣の本能で、お互いに襲うつもりが無ければ、共存出来る事を知っている。
(何を求めて居るのか?何を言いたいのか?)
 何も判る訳が無いが、敵でなく襲われる恐れが無いのであれば、相手に対しての興味が募るだけだった。当たり前の話だが初対面の者同士が、意志の疎通などと言うものを簡単に取れるものではない。様子を伺いながら、光り輝く相手の顔の辺りを良く見ると、水に写して見える水鏡の様に、相手の顔の辺りには自分の顔の様なものが写って居る。
 相手の顔の表情は分からないが、こちらの表情はお見通しらしい。
 こんな時はこちらから行動を起こすべきではない。相手が何者か探ることが先決だ。
 だいたい相手の着ている物からして違う。白い発光体が身体全体を包んでいる。
 何かが光った様に感じられた。
 向かい合っている相手の手から、発せられた光だった事は後から判った。
 其から後のことは意識にない。
 気が付いた時は、洞屈の中に居る様な気がしたが、其よりも耐えられないほどの痛みでは無いが、右手の痛みのほうが気になった。
 既に痛みは無くなって居る筈の古傷に微かな痛みが有る。
 ふと見ると驚いたことに肘から曲がっていた腕が元通り健全な状態に戻っている。
 良く見ると肘の付け根に小さな傷が有り、そこから痛みが来ているらしい。
 何が行なわれたのか計り知れないが、右手は怪我する前の状態に戻っていた。
 
 後から気がついたのだが、洞窟の中だと思ったがそうでは無く、幾つかの支えの大きな石を置いて、その上に巨大な偏平石をテーブル状に置いて組み合わせて造った物らしかった。後世、ドルメンと呼ばれる巨石建造物であったが、男の知る筈もない事だった。
 どうやらその広場の中央にある、大きい巨石の組み合わされた、石組の中らしいと気がついた。石の間から適当に入り込んでくる明かりで、中は以外と明るく快適だった。
 変な匂いが辺りに漂っていたが不快感はない。
 相棒が気がついた。足に巻きつけられた布に気が付いて驚いている。別に痛みは感じないし、何か手当を受けた様な感じだと言う。
 その時、突然雷の音の数倍の鋭い音が辺りに轟き渡った。
 大地が震え、夜空を走る稲妻の煌めきに似た光が、石の間から入り込んできた。
 驚きの余り外に出て見ると、天空一杯に銀色に輝く物が空を覆っている。そこから光と音が降り注いで来る様であった。見る間に、空を覆っていた銀色の物が小さくなり、空の中に吸い込まれて行くように小さくなり、夜空に輝く星のように輝きながら遠ざかって行った。横殴りの強い雨風が思い出したように吹きなぐり、男達は現実に引き戻された。
(何が起こったのか?)
 男達は不思議と不自然だとは思わなかった。
男達が不思議に思った事は、草原の中に立つ異様な洞窟の様な石組だった。
 降り頻る雨を避けて再び石組の中に入った。深い闇の中に引き込まれるように、睡魔が再び襲って来て、男達は雨の音を聞きながら夢の中へ落ちて行った。
 夢の中の出来事の様に、雨が男達の記憶を洗い流した。

 太古の世界に謎の飛行物体と巨石建造物の出現。これから物語は面白くなりそうだったが、一寸、眼の疲れを覚えた杉浦は区切りの良い処で本を閉じた。
 時間的に見れば、飛行機はそろそろ北極圏上空に差しかかる頃だ。
 新しい水割りを一口含み機外に目を向けた。何も見えない漆黒の闇が広がっていた。
 ふと眼下に眼を落とすと、淡い光の筋の様なものが見えた。
 しかしその光は直ぐ消えた。眼の錯覚だったかも知れない。一寸飲み過ぎかなと思った。 厳寒の北極圏上空だ何もあるはずが無い。幾らSF好きの杉浦でもUFOの存在は、自分の眼で見るまでは信じていない。
しかし、今度は鮮明な光の帯をはっきりと見る事が出来た。



 黄緑色のカーテンが風に吹かれて揺れ動くように、壮麗な光の帯が漆黒の闇の中で神秘的に揺らめいている。光の帯が揺らめく様は、寄せては返す波の様に夜空に神秘的な彩りを放ちながら、闇の中を漂っている様にも見える。
(オーロラだ!)
 と、杉浦は心の中で叫んだ。
 打ち寄せる波のように色取り取りの淡い光の帯は、漆黒の闇に漂う吹き流しの様に揺らめいては姿を変えて、そして消えていく。
 始めて見た自然の神秘が織りなす、幻想的な芸術との出会いだった。
 心なしか僅かながら光の帯が大きく広がり、飛行機の方に近づいた様にも思えた。
 自然が織りなす魔可不思議な神秘的な現象に心を奪われて、黄緑色の淡い光の帯が飛行機を包み込んだ事を杉浦は知らなかった。

 北の方角は幾重にも重なる山々に囲まれて、寒い北風を遮る屏風の役割を果たしてくれそうだった。冬の食べ物の確保も然ることながら、寒さへの対応も同様に重要であった。
 南の方角は見渡す限りの大海原で、眼下にリアス式の海岸が連なり、まるで羽根を広げた孔雀の様に沢山の小島が点在していた。遠浅の砂浜が続く海岸線は豊富な貝類が取れそうで、リアス式の海岸は魚影の色も濃い様であった。
 東の方からは青龍が海の水を飲みに来た様に、穏やかに曲がりくねった大河が海原に流れ込んでいる。河口は見るからに黒々とした土砂の堆積地で、肥沃な土地である事を物語っている。遠く西の地平線の彼方に、波間に浮かぶ小船のように棚引く雲の上に白雪を戴く山頂が顔を出している。
「やっと求めていた理想の地に辿り着いた様だ。これ程、海、山、河、と言う自然に恵まれて、住み易い様な土地は沿う多くは無い」
 と、獣の皮を身に纏った隣の男が呟いた。
 杉浦の耳にもはっきりと男の言葉が聞こえた。
「・・・・?」
 驚いて隣を見ると、顔と言わず身体にも不思議な幾何学模様の、青い刺青の逞しい男が眼下に広がる景色を見ていた。その顔に描かれた文様の素晴らしさに、驚きも忘れて眼を奪われていた。プロのグラフィック・デザイナーから見ても、それは高い芸術性が見て取れた。今迄見た事も無い素晴らしい、独創的な奇妙な刺青の文様だった。
 驚きの次に疑問が沸き上がって来た。
(何故、自分がこんな処にいるのだろう?ここは何処だろう?何が起こったのだろう?) 判らないことばかりだ。
(夢の中なのか?)
 其なら判る。しかし其は覚める事の無い夢の様な物だった。
 その事に杉浦はまだ気付いていなかった。
 まるで先程読んでいたSF小説の世界その物なのだ。北極圏の上空を飛行中の機内から、神秘的な美しさのオーロラに見とれて、心奪われていた処までは覚えている。
 その後が判らない。
(何故、山の上から刺青の男の側で、下界を見下ろしているのだろう?)
 置かれている状態は、SF小説の中の物語に入り込み、登場人物の一人となっている様なのだ。昔の映画を思い出した。
『ネバー・エンデング・ストリー』と言う物語に良く似ている。物語を読んでいる間に、何時の間にか其の物語の登場人物として、物語の中で冒険の旅をすると言う内容だった。
 人々の生活様式を見る限り、有史以前の世界らしい。何がどうなっているのか判らないが、異次元の空間にでも入り込んだ様な不思議な思いがする。
 理由は判らない。幻の物語の世界に来てしまったと言う事だ。現実問題として自分の置かれている現状を受け入れる事が先決だと思った。思考が纏まらない。
 次第に意識が薄れていく。杉浦は再び気を失っていた。

 五日前に日の出と共に独りで狩りに出て、そして、そのまま行方知らずだったと、村領のハグマーは言った。皆で安否を心配していたところだったと村人は言った。
 村領のハグマーの話では、荒野の枯れ木の老木に引っかかっていた所を、狩りに出た若者が見つけて村に連れ帰って来たと言う。
「もう少し遅かったら、おまえは狼の餌だった」
 と、ハグマーは笑いながら言った。
 木の下では狼の群れが頭上の杉浦を狙っていたと言う。
 それにしても杉浦には納得できない疑問点が多すぎる。
 気が付いた時には、村の一員として生活に中に溶け込んでいたと言う事である。
 言葉も判る。村領のハグマーも杉浦を知っている様な口振りなのである。そうして考えると、何となく昔からこの世界で暮らしていた様な気もするのであった。
 現在、自分が置かれている状態が何一つ判らない。
 時空の迷路に迷い込んでしまい、異次元の世界に送り込まれたと考える事が、一番自然な様な気がした。不思議な感じがする。
 とても現実のものとは思えない。自分の身に何が起こったのか判らないが、その原因や理由が何一つとして、解明される事は無いのでは、と言う予感がある。
 とんでもない世界に放り込まれたと言う思いが強い。
(原因はオーロラだろうか?)
 厳寒の漆黒の闇に漂う美しい神秘な黄緑色の鮮やかなカーテンの色彩が思い出された。(次号につづく)


*2,005年6月末帰国して* 〜鈴木宣平さんからのご寄稿〜

 2003年正月にハバロフスクで滑って転び脳卒中からあっと言う間にほとんど3年が過ぎた。 年一回ハバロフスクでの短い夏だけのリハビリも3回をこなした。 だけど懸命のリハビリにも拘らず左半身不随と言語障害が残ってしまい、もともと無口な上にふさぎの虫、自宅に籠もりきりで、ボケ防止のため最新式のノートパソコンを与えられて、楽しみはというとHPを散策、メール交換、HなDVD鑑賞だけで一日中ムッツリ。 皆さん、飲み会には酒を飲めない無口な私をリハビリのためここから引っ張り出して下さい。
 ハバロフスクでもそうだったが、帰国してもいかに生きるかを習得しようと手探りしている。 以前はたいして本を読まなかったのに活字を追うのが楽しみになった。 自分は案外の重症だったと聞かされたが、幸い前頭連合野を損傷してなかったので闘病記も書けた。 昔の仕事仲間の木材野郎が助けてくれる。 私はチャキチャキの江戸っ子で通っているのに同窓生が関西弁で声を掛けてくれる。 この歳でパソコンをさわり、「六花」への投稿に熱中しだすとこれが日記を書くより面白い。 投稿する楽しさは今年秋号に自分が投稿しなかった時に分かった。 帰国してもロシア語が懐かしい。 そこでモスクワからのラジオ放送をインターネットで聴く。 短波ラジオで聴くよりはるかに鮮明だからだ。 ITの利用で視野が広がった気がする。 世界と簡単に繋がる、気持ちが伝わる。 なるほど、ネットワークも心がつながらないとつまらない。 分かったことは、世の中にはやはり頭の固い人、やわらかい人がいる。 難しく言論、表現の自由、防衛問題、国の姿を問われたりすることもあれば、文化に心を巡らしたり、スポーツに熱くなる。 一度死んだこの身に何故か生きることの大切さ、人生で何を大事にせねばならぬか、物の見方、考え方、この次の理想的な死に方がどんどん脳裏に湧き上がってくる。 歳をとっても成長し続け、伸び続ける方法を探しまくっている。 はたして仙人になれるだろうか、エロ爺ィのまま終わるのだろうか。 その点ロシア人は羨ましい。 ニチェボー主義には悩みが無いのだろうか。 ロシア人に「人生で大事なものは何?」と聞いてごらんなさい、躊躇せず即座に「健康」と答えるでしょう。 「健康以外のものはお金で買える」、「健康さえあれば命なんて要らない」とのこと。
 約1年前に、メール交換から生まれる人生の哀歓、ドラマを綴るのだ、と「六花」の編集長岡田さんに約束したので少しずつ書き始めたけれど文章力、編集能力の無さを感じてガッカリ。 テーマはある、着眼点もある、材料もストーリー展開もあるが書き上げることが出来ないのは肩ひじが張っているからだろうか。 なにもひと味違うものを書こうとはしていないのに。 メルトモの中でもロシアに興味を持つ若者の苦労と楽しみを文にしてワクワクしてみたかった所、この夏、「自由」の問題で他の人とひともめしたのでペンを折ったがまたちょっとハバロフスクの雑感もどきを書いてみた。 
 今回帰国してハバロフスク生活を振り返り、印象に残ったことは:
 ロシアの落ち着き ― 去年までは成長期というか建設ブームで雑然としたロシアの蘇生が続いていたと思ってきたのに、今回はロシアの自信と落ち着きを見た。 やはり戦後60年だからか。 原油高で金持ちになったせいか。
 戦後60年 ― 今年の5月は6〜9日が4連休だった。 5月9日(月)の対独戦勝記念日の前後にいろんな行事に出くわした。 大家さんの婆さんは普段から歌が上手だったが、5月6日(金)に第二次世界大戦の参加者の前で堂々と舞台に上がり得意のウクライナ民謡を歌ったのである。 私の介助を放たらかしてである。 連れてってもらった私は列の一番前で呆然。  国連が5月9日を「追悼と和解の日」と決めたので、プーチン大統領は50数カ国の首脳をモスクワに集め外交攻勢を展開。 北朝鮮の金主席がハバロフスク経由出席するとのは噂だけだったが、わが小泉さんも出席され、ハバロフスクでもTVで大きく報道された。 北方領土問題も一瞬再燃したが、日本側が「返せ」と言い続けなかったことで頓挫した。 極東では「勝利!パベーダ!勝利!」と対独も対日も一緒くたにしているのに、我が小泉首相がモスクワで戦勝おめでとうと祝辞を述べているのが滑稽だった。 ロシアは確かに戦勝国だが旧ソ連とスターリンの勝利への貢献の賛辞と、逆に大きな犠牲を出したことに対するソ連の国体、スターリンへの非難が国内でも入り混じった。 しかしプーチン政権は戦勝者意識を前面に押し出し、対ドイツ戦勝も対日戦勝も一緒と国民を鼓舞し、北方領土占有を「第二次世界大戦の結果」と公言してやまない。 ロシア議会では対日戦勝記念日の制定や領土保全に関する法案が提出されているが、日本人の私は、国連は8月15日をどうしてくれるのだろうと考えながら地元の戦勝記念の売り出しの欧州ドキュメントDVDを買い漁っていた。
 ラジオ ― ラジオはいつも面白い。 帰国してからは勿論ロシア語が懐かしい。 昔はロシア語の朗読のテープを聴くか、部屋中にアンテナを張り巡らせて雑音の入った夜中のラジオ放送に耳を澄ませて聴くだけだったが、今はPCからインターネットラジオで岡田さんとこの本社−モスクワからの「ロシアの声」(http://www.vor.ru/Audio/audio.phtml )、これもモスクワからのロシアの文化放送( http://www.cultradio.ru/online.html )、ロシア中で有名なラジオ・ロシア( http://www.radiorus.ru/radio.html )をビックリするほど鮮明に聴くことが出来るのが嬉しい。
 クッソー ― 浮くか! 帰国してすぐ自分の大便のあと便器をのぞいてビックリ。 ウンチが浮かんでいる。 ハバロフスクのロシア人の同居人のウンチが便器の中で浮かんでいて流れないのが嫌だったが、食生活の違いと笑い飛ばしていたのに。
 寝不足 ― 旅行に行くと枕が合わないのは聞いたことがあるが、他人事と思っていた。 まして何年も住み慣れ寝慣れた場所なのに今回はどうしてか寝つけなかった。 脳を患って2年半も過ぎたのに、此処に来ると思い出す悩み、挫折、後悔、踏ん切りの悪さのせいなんだろう。 去年はなんとか眠れたのに今年はグッスリ眠れない。 長年使ってきた枕なのに、枕が合わず自分でも分かるほど寝返りを打つ、いびきをかく、枕をジッと見つめる。 飲まないと決めたウオッカの量が増えたので「死ぬまでにたった二つの場合のみウオッカを飲もう」と心にしっかり決めた。 一つ目の場合は塩漬けきゅうり(ピクルス)が出た時のみ呑む、もう一つの場合とは、塩漬けきゅうりが出ない時は呑むのである。 更にちびりちびり、ダラダラとは絶対呑まず、グイッと呑んだら次にグイッと呑むまで1滴も呑まない、と決めた。 自分でも「えらい」と思う。
 知ってる ― 今回は不動産、動産の処分とその税金の相談の件で内務省内務局と民間の法律事務所を頻繁に訪れたが、ビックリしたことは担当者がロシア語で書かれた在住日本人住所録を読んでいることだった。 ロシア語の迷惑メールが大量に入るようになったのはこの所為か。
 求人 ― プレゼントというハバロフスクでは有名な新聞を見て今回は介護人を雇用。 部屋の片付け、掃除、ゴミ捨て、洗濯、アイロンがけ、食材の買い物、手料理、食器洗いの女中仕事の他、さびしい、つまんない、と言えば食事の付き添い、添い寝、介助してくれながらのお手手つないで散歩、外食、買い物の付き添いや値引き交渉までやってくれる。 水漏れには修理屋を呼んでくれる。 更に名物のサーカスにも連れてってくれて、夕方ビヤホールでちょっと一杯も同行してくれる。 手当ては1時間200ルーブル(約800円)とちょっと高かったが便利すぎて大助かり、おかげでリハビリどころか逆にヨイヨイが高じてしまった。 渡航の目的失墜で国外追放されそうだった。
 カラオケ ― 日本語では勿論、英語でもロシア語でも呼び名が「カラオケ」なのは鼻が高い。 昔は日本料理店や日本商社の事務所か社宅の中でわびしく演歌を歌っていたものだが、今はロシア人経営のあちこちの店にカラオケ設備がある。 日本人客だけでなく、ロシア人、中国人、韓国人客も大口、大股を広げて私の聞いたことも無い最新流行歌を大声で上手に歌い、踊っている。 グローバルだねぇ。 でもあの懐かしいロシア民謡は何処へ行ったのだろう。
 読破 ― 「マジソン郡の橋」を日本語、英語、ロシア語の本、英語と字幕が日本語のDVDをも合わせて滞在中の2ヶ月で読破した。 大きな声では言えないが、と言っても小さい声では聞こえないだろうが、ハバロフスクでの私達の愛の形がこの小説と酷似していたからである。 しかし、私が死んだら、火葬した後の灰をあのアムール河の橋の中央から河に向かって撒いてくれるか?と尋ねたら、「あぁ、いいわよ」とあっさり答えられてガッカリした。 死なないで、とすがりついてくれるものと期待していたのに。
 死に方 ― 先回死に掛けたときは「死」の準備を全くしてなかったので、生還した今考えると、これではいかんと考えるようになった。 でも死の準備は簡単だと思う。 じわじわ迫り来る死の影は恐いだろうけどなぁ。 
 生きる ― 生きる方がもっと大変。 実母より早くは死ねないと朦朧とした頭の中で歯を食いしばっている。 ドクターと同居していたので倒れた時の処置が早く生き延びられたが、「ありがとう」を彼女にいまだに言ってないのが気詰まりだ。 彼女を「同居人」と紹介して本人に立腹されて以来気まずい関係になっている。 命の恩人と呼ぶべきと回りから言われ自分もその通りだと思うんだけど声に出ない。 死なせてくれたら良かったのに、といつもの悪態をつかないのがせめてもの救いだ。 生かせてもらったことに対して感謝して手を合わせているのを彼女は知らない。 「生きる」ということを哲学的に考えるのをやめた。 簡単なことを難しく表現するのは簡単だが、簡単なことを分かりやすくもっと簡単に説明することは難しい。 だから「生きている」という状態をロシア語でも日本語でもひとことで言える練習ばかりする。 例えば「朝眼が覚める」とか、「揺れる左手をじっと見る」とか。
 通貨 ― なぜだか自分でも分からないが、滞在中に「通貨」について興味が湧いた。 特にドル、円、ユーロ、人民元とルーブル。 今考えるときっとこれら通貨の盛衰を自分に当てはめて考えたからではないだろうか。 つまり自分は60年生きてきた。 通貨も成長期、成熟期、衰退期があるのではないか。 そして円もドルも衰退期に入ったのではないか。 栄枯盛衰は世の常。 例えば世界の基軸通貨がドルからユーロにとって代わられた日にドルは暴落、日本は米国債を買い続け、せっせとドルを買い支えているので紙屑を溜め込んだ日本の円も暴落する、となると相対的に必ず価値が上がるユーロを溜め込まねばと考え出すと必ず寝不足。 そこで昼寝する。
 文通 ― 滞在中文通、イーメールの交換の口添えを頼まれ、助力したが、日本側の個人情報の「過」保護に阻まれ満足に繋がらなかった。 この経験を題材に「六花夏号、秋号」に投稿しようとすると、またまた日本側の個人情報過保護に阻まれた。 言論の自由、表現の自由を盾に討論したが、日本では理解をもらえなかったし、ハバロフスクでは支持をもらえなかった。 私は日頃からそれこそ余りに自由に感じたことを発言したり、書いたりしてきたので「ダメ」と言われたら反論するが、この時は、自分は何のために闘うのか、自由とは何か、なぜ大切かを上手に説明できなかった。 独りよがりだけれど自由の大切さは誰もが分かっているもんだと思ってた。 ハバロフスク日本人会の名簿作成作業と同じように個人情報を出さない権利、出す権利、情報を受ける権利とそれぞれの立場による解釈の取り扱いが難しかった。 (完)

☆暮らしの情報☆

◎アムール魚博物館 太平洋漁業海洋学研究センター(TINROセンター)ハバーロフスク支部に魚の博物館がオープン。70種類以上のアムール河の魚が総重量5トンの34の水槽に収められています。TINRO(太平洋漁業海洋学研究所)の研究資料によりますと、アムール河流域には141種類以上の魚がいます(最近まで110種類が知られていました)。この博物館の住所は、ハバーロフスク市アムール並木道13a です。(12/6「太平洋の星」紙の情報)

◎新春興行【音楽喜劇場・カールマルクス通り64・電話21-11-96】
12/29-1/4芝居「赤ずきんちゃん」 11時と14時開演。
1/5芝居「赤ずきんちゃん」11時開演、「モナという名の星」17時開演。
1/6芝居「赤ずきんちゃん」11時開演、「好きな娘のためのかわいい靴」17時開演。
1/8,9「私の気まぐれをゆるして」17時開演。【ドラマ劇場・ムラヴィヨーフアムールスキイ通り25・電話31-08-09,30-68-25】
1/2-8芝居「青貝の小箱のひみつ」12時と15時開演。1/7クリスマス・ジャズ舞踏会18:30開演。
1/8,9,21,29「フランス風夕食」18:30開演。【青少年劇場・ムラヴィヨーフアムールスキイ通り8・電話32-40-37】
12/28-1/8新春マチネー興行10時と13時と16時開演。【フィルハーモニーコンサートホール・シェフチェーンコ通り7・電話32-89-51,31-63-68】
1/2-8新春マチネー興行11時と14時開演。1/14室内楽団グローリヤ演奏会17時開演。【地方労働組合文化会館・レフトルストーイ通り22・電話32-82-64】
1/2新春音楽ショー物語「マダガスカル」15時開演。【ロシヤ軍管区将校会館・シェフチェーンコ通り16・電話39-51-74,39-77-73】
1/2-8クラシックミュージカル&レーザーショー「シンデレラ」12時と15時開演。
1/13極東交響楽団演奏会18時開演。【人形劇場・レーニン通り35・電話29-39-41】
1/2-7新春興行芝居「モローズ・イヴァーノヴィチ」10時と13時と16時開演。【トリアーダ劇場・レーニン通り27・電話31-31-81】
1/2-6「新年のヨールキ・パールキ」11時と14時開演。
(12/28「沿アムール報知」紙と「論拠と事実」紙52と街頭ポスターの情報)


◎「NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・周波数表(2005年10月30日〜2006年3月26日)



ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・周波数表(2005年10月30日〜2006年3月25日)
日本時間
21.00-22.00 中波630 720 短波 5940 5995 (kHz)
22.00-23.00 中波630 720 短波 5940 5995 6005(kHz)
 
* HPアドレスは、http://www.vor.ru 。21.00-22.00の放送はインターネットでもお聴きいただけます。
 
*リスナーズクラブ『日露友の会・ペーチカ』http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/

* ハバロフスク支局では番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに友情出演してく  
 ださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-07か32-45-46/ 岡田)


☆冬のロシヤの歌☆




【編集後記】

 先月の忘年会は、大勢の会員ならびにご家族やご友人の皆様のご参加を賜り、とても楽しく賑やかな会となりました。ご多忙のなか準備にご尽力くださいました皆様まことに有り難うございました。
「六花」は季刊のペースで第17号となりました。プリント版は、総領事館と日本センターに置かせて戴いております。次号の原稿の締切りは、2006年3月末日です。イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイなどお気軽に岡田までお寄せください(職場32-45-46自宅п彦ax21-41-07/メールokada@mail.redcom.ru)。みなさまどうぞよいお年を。) 

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