ハバロフスク日本人会会報    りっか  рикка     2004年夏Vol.11 

                         ☆鈴木宣平さんよりご投稿 第4弾

                                ハバロフスク雑感

  5月―7月が最も気候の良い時期、と言うのでリハビリのためハバロフスクで滞在しています。昨年ハバロフスク市内で転んで「脳卒中」と診断され、2ヶ月間鉄道駅の向こう側にある鉄道病院に入院しました。 退院後やむなく日本に帰国しましたが、皆には62歳にもなって、とか、年貢の納め時、とか言われました。東京の病院に通っていましたが、発症したときすぐ搬入されれば、注射や点滴で直せたのに、今となっては遅い、とそこでは言われまして左半身不随と言語障害が残ってしまいました。さらに脳の毛細血管の壊死はリハビリでしか治療の方法は無い、と言われましたが、日本の病院のリハビリ室を見ると、ほとんど全部が運動ジム形式で、歩行練習は機械、あと筋力トレーニングの機械がズラリと並んでいるだけです。 たまたまハバロフスクの病院が年1回の転地療養とリハビリを誘ってくれたので、東京の病院に相談したところ、ダメだと言って留めても行きたいのだろう、今の身体ならどこで倒れて死んでも同じだから行っておいで、と快諾してくれました。 

 やはり33年住み慣れたハバロフスクは良いものです。 土地勘があり、町中にベーラ(信頼)、ナジェージダ(希望)、リュボービ(愛)という知人が居て、物価が比較的安くて、住むには良いものです。私が初めてハバロフスクに来たのは1971年の夏、まだインツーリスト・ホテルがありませんでした。空気は今よりもっときれいだったことを覚えています。 日本総領事館がナホトカにあって、パスポートの更新や相談事にはナホトカまで通いました。当時はもちろんソ連邦時代で、ナホトカが唯一の開港都市、ウラジオストークは外国人はもちろん、ロシア人にも閉鎖されていました。 ウラジオが開放されたのが1992年、それまではウラジオに入るにはまずホテルで登録する前に警察に出頭させられたものです。 当時ウラジオで胸を張って闊歩している日本人は労働組合の関係者だけでした。その点、ハバロフスクは当時は観光都市でホテルでの登録だけで済みました。 

 今のハバロフスクは化粧され、きれいになっています。 古いレンガ建てや丸太小屋が修復され、歩道が整備されました。 次々建てられる教会の名前を覚えきれませんが、夕方8時少し前に鳴る教会の鐘の音を聞いてロシア人は歩みを止め、十字を切って頭を下げるのを見ると、ソ連時代には無かったロシアの哀愁を感じさせられ、ロシア民謡「夕べの鐘」を口ずさみます。 市内のいたるところでポプラの木(トーポリ、白楊)が丸坊主にされているのを見て、悲しくなりました。 ポプラの綿毛は歩いていて息苦しいですが、長年見てきた者には季節の風物詩です。市内を走る市バスのほとんどが韓国製の大宇のバスになって快適ですが、以前のロシアのバスがガタピシの車体とつるつるタイヤで息せき切って坂を上って行くのもハバの風物詩でした。

 ここのリハビリ・メニューは太極拳体操、マッサージ、水泳、農場での草むしりはが主体です。点滴、注射は東京の病院の指示で、とウソをついて拒否しています。 自然と対峙する姿勢は東京では味わえません。 太極拳は雨が降ろうが、風邪が吹こうが、屋外で行うのが普通だそうですが、私は皆のやっている雨の日は太極拳体操を休みます。実際、屋外で空を見上げ、青い空、曇り、霧、雨の空、雲の動き、鳥のさえずる声、鳥の飛ぶ様子、立ち木の梢の先が風に揺れる動きを見ると自然を感じます。 太極拳なんてあんなゆったりした体操は老人向きだと思っていましたが、やってみると、毎回の柔軟体操はきついし、型を覚えるのに一苦労だし、おまけにスリコギや大きな中国扇子を持ち出してくる体操もあって苦労しています。 さらに天地についての哲学の講義もあります。全員の楽しみは誕生会で、体操のあとワイン、ジュースが飲めて、ケーキを食べることが出来ます。

 今年のハバロフスクは天候不順の冷夏、雨続きで、本物の夏がなかなかありません。6月の22日には群馬県は台風一過37.5℃にもなったと報道されたのに、ハバロフスクでは午後は雨、最高気温は18℃で寒く、私が冬の長袖を着ていても誰も笑いません。 隣のおっさんはウールの首巻をして歩いています。毎日 体操とマッサージのみで飽き飽きしているので、水泳について聞いてみたところ、今年はアムール河の水位も高いが、天候不順で屋外の水泳計画の実行は遅れている、とのこと。農場(ダーチャ)行きも現場がぬかるんでいて未だに行けないそうです。

 1年振りにハバロフスクに住んでみて驚いたのはここの日本人の意識の変化です。昔のことを言うとまた笑われますが、ソ連時代の後半以降はここハバロフスクでは日本人も数少なく、日本人会は形だけあっても会報はなく、クチコミで助け合いながらひっそり暮らし、託送依頼はほとんどしませんでした。しかし今は私が率先して託送以来をしてしまいます。 以前はお金のことはとやかく言いませんでした。 医療は永くタダでしたから。 私が今年の5月に到着してすぐ、ここ日本人会の田中猛先生から手足のしびれにつき相談を受け、歳のせいだよ、ウオッカを飲めば治る、と冗談を言ったものの、田中先生は街に住む日本人の顔であり、日本総領事館の覚えもめでたいものですから、日本人会会報第9号(冬号)で私が一方的に紹介したホーム・ドクター私設診療所を紹介しました。 その時初診料は400ルーブルで安いですよ、と言ったのが問題の始まりでした。 

 田中さんは診療所に行き
1,400ルーブルも払わされた、とまさに初日に私にクレームの電話をしてきました。事情を診療所に問い合わせたところ、確かに初診料は400ルーブルだが翌日分の検査料を前払いで総額1,380ルーブル受け取った、とのこと。このことを田中さんに説明し解かってもらった、と思いました。春号の歯医者の欄でもお分かりのように、今のロシアはなんでもお金で高価、割引があるのは第2次世界大戦での祖国ロシアへの従軍者と第1級身体障害者だけです。

 老人で、祖国ロシアに若い時から税金を納めてきた、と言っても、私設診療所は考慮しません。まして外国人には。市立や州立の病院で検査してもらえば外人でももちろん安いでしょうが、一つの検査に長〜い行列で、各種病原菌の渦巻く薄ら寒い、薄暗い廊下で立ったまま半日以上待たされるであろうところを、田中先生は私のコネでお金は別として行列だけでも回避し尿や血液など16もの検査を受けることが出来たのに、その田中先生は最終的に2400ルーブルを払わされた、しかも検査結果は一週間で出る、と言ったのに今日は10日目だがまだそろわないのか、詐欺だ、紹介されたあの診療所に行ったのを後悔している、「六花」の編集者もいい加減なもんだ、診療所の中身を確かめもせず投稿を掲載して、とずけずけ、大変な剣幕で私のところに抗議の電話をしてきました。市内の一流のお医者先生を頼んだので分析料、コンサルタント料が高かったこと、分析科目が多くなったことで時間がかかっていること、現在医療は有料でロシア人にとっては高額なことですがロシア人も我慢して自分の健康のためには払っていること、を解かってもらえませんでした。 

 要するに前もっていくら掛かる、と言ってくれれば納得するのに、とのことでした。しかし、医療は前もって全額いくら、とは定額以外言えないらしいのです。コンサルティング、検査中に発生するかも知れぬ事項を金額で前もって表示することをしない、できないらしいのです。 私たちロシアに住めば、ロシア人が1週間、と言えば、普通は10日以上、まず1ヶ月は待つのに、発言したからには1週間以上許せない、はソ連での抑留経験のおありになる田中さんでも現代意識としては正常なのでしょう。 結局、11日目にロシア語で書かれた立派な検査結果だけをご自宅にお届けし、平謝り、田中先生はご自身にとって重要なコンサルタンティングを拒否なさいました。 このロシアで安い、早い、便利は禁句と知りました。 詐欺呼ばわりされてしまいます。
(完)。


                                  民間療法

 ハバロフスクのおばあちゃんに聞きました。こういう療法はお年寄りに聞くに限りますが、特に女性に聞けば色々面白いことがあります。でも聞きにくいこともあります。薄茶色の液体が鍋に残っているので、これは何や、と聞いても、口を濁して、あ〜、それは触らないで、おいといて、と答える。時々は捨ててしまったあとで聞くので、気まずいことになります。 うちは女系です。 私の大家さんは88歳の大お婆ちゃん、その娘で64歳のお婆ちゃん、またその娘で40歳のお母さん、またまたその娘で19歳の娘、という女系です。小お婆ちゃんは定年まで看護婦だったし、その娘は内科の医者です。 家の中では、特に物置の棚の上、冷蔵庫の中には、民間療法用の得体の知れない乾燥した草やガラスコップが散らかっていますが、邪魔だからとて片付ける場合はいちいち断らなくてはなりません。 

 ロシア人の平均寿命は女性72歳に対して男性は58歳と若い。この大きな男女間の差は戦争の所為(せい)か、とおばあちゃんに聞いたところ、い〜や、統計はそんな古いことには触れない、これはゴルバチョフ政権以来(1985年〜)21世紀に入るまでの15年間、世が乱れてアル中、各種重病人を誰も救えず、おまけに国内戦争、テロ、マフィアの抗争、殺人、交通事故、自殺の死亡等を加えると戦後の統計を突出したため、しかも死亡したほとんどが男性だったため、と答える。 ところで、ひ〜お婆ちゃんの長寿の秘訣、民間秘薬があるか、あれば「六花」に載せようと思い取材のため聞くと、知らぬ存ぜぬ、秘訣や秘薬はな〜んにもない、日本人のあんたと一緒に住んで「日本食(米、野菜、果物、魚、海産物、ふりかけ)」を食べ始めてから身体全体の調子が良い、特に抜け毛が少ない、若返った、あんたの顔を見ているだけで通じが良い、でなければ、こ〜つと、長寿はただの遺伝のたまもの、ところが老けない、不老の秘訣はというと「歳はとっても老いはしない」こと、で済まされてしまいました。ロシアでは長寿と不老は別物だそうです。なかなか文学的で、哲学的です。 我家で最も若い娘は今ウラジオで一人住まい、極東大学経済学部の学生で、休みにはハバへ帰ってきますが、旧式の薬とは全く関係のない現代っ子です。 

ロシアの民間療法はというと「蜂」、「蜂蜜」、「草」だと言います。私が、ロシアの民間療法薬なんて日本にも中国にもある漢方薬だろう、と言うと、女どもは静かに説明してくれます。 混同しないで下さい。 漢方薬の生薬は混ぜ方(組み合わせ)や加熱に「法則(プラービラ)」とか「流儀(マネーラ)」を持っていて、考案された偉大な多成分の薬ですが、ロシアの民間薬は、専門学的な動物系の話(鹿の角、熊の胆など)は置いといて、草や植物の天然産物を煎じるのは漢方と同じですが、漢方のように数種類の生薬を混ぜて煎じるのではなく、草や枝をそれぞれ単独で煎じます。法や流儀はありません、民間ですもの、誰にも許されているやり方です、とのこと。非常に単純で分かり易い。

 ここロシアでの民間療法は伝統的に「ウオッカ」にまつわるものが非常に多いことに気が付きます。百薬の長から迎え酒まで、上はテンカンから下は水虫まで、前はインキン・タムシから後ろはイボ痔、切痔にいたるまで、ありとあらゆる症状にウオッカが効かないものはない、と彼らは言います。例えば、水虫を退治するには、特に爪の中に入り込んだ水虫を退治するには医者の飲み薬、塗り薬では治らない、と言います。 しかし、ウオッカがあれば、洗面器にウオッカを張って足を突っ込むと、水虫(カビ)は酔っ払って、溺れて、窒息死する、と言います。笑いをこらえて、遺伝はまさかウオッカでも治せないでしょう、と尋ねると、治せる、と答えるのです。民間療法にウオッカを使うのは単に伝統的に家の中にいつも有るだけで、体質は問わない、と答えます。 例えば糖尿病、病気そのものの原因はほとんど遺伝ですが、西洋医薬のインスリンに頼らなくてもよい場合、民間療法を基本としてウオッカも使う食事療法、ダイエット体操、鍼灸等を薦め、まず肥満を解消する、という。レモンの絞りかすやリンゴの皮、芯を捨てずに蓋の付いたガラス瓶に入れ、中国酢をたっぷり注ぐ。 冷蔵庫の中で二日寝かせ、このジュース50グラム毎をほんの少しのウオッカで割り一週間飲むと痩せる。 糖尿病に天敵の肥満、過食、運動不足、ストレスにはその解消に適量のウオッカが役立つというのです。 

 皆さんも普段の生活で、とっさの場合またはゆったりしている時には、ついつい医者に相談せず、民間療法を利用しています。たとえばウオッカを利用するものとして、寒い時に暖をとる、風邪薬(ホットウオッカにコショウを入れてグイッと飲む)、気付け薬、睡眠誘発剤(睡眠薬代わり)、食欲増進剤、栄養価削減(ウオッカにはビール、ワインのような栄養価がないので、病人はウオッカを飲む?)、消毒薬、度胸付け(赤面、無口回避、雄弁誘発、勇気百倍)、美声保持、美貌保持(ウオッカで顔を洗う女優がいる、という。そんなことをしなくてもロシア女はみ〜んな美女ばかりでブスは一人もいない、と断言できます。 ウソだ!と言う人はウオッカの飲み方が足りないだけです)。

 民間療法ですから、人里離れた田舎は別として、街なかで使うには、症状が簡単で、処置は手軽る、短期間が普通ですが、治療薬はロシアではまず、すぐ、傍に有る無味、無臭、無栄養、アルコール分がたったの40%しかないウオッカに手が伸びます。 あと必要なものは脱脂綿、マッチ、ガーゼ、蜂蜜、ガラスコップでしょう。簡単な治療法もありますが、複雑なのもあります。 特に1年の半分が冬のハバロフスクや、もっと北の1年の内12ヶ月が冬で、残りが夏なんてえ所では、風邪引きや、凍傷のてあてに、すなわち身体を内から、外から温めるためにウオッカが活躍します。日本人は風邪を引いたかなあ、と思えばすぐルル3錠ですが、ロシアではまずウオッカ、飲むか身体にすり込みマッサージをします。 感冒(発熱、咳、鼻水)も、気管支炎も、気管支ぜんそくも、風邪を引きやすい体質までも自宅でウオッカで治してしまいます。

 アルコールを飲めない大人や子供で、熱が高く、咳が止まらない時、雑巾のような大きなガーゼにウオッカを浸し、それに火をつけ、ガーゼが熱くなったら火を消して古布か新聞紙に包み、首筋や胸の「トーチカ」の上に張る、という複雑なやり方があります。 トーチカ(点)ってなんや?と聞くと、血管や神経の交差点、経脈の付け根です、と答えてくれました。 やはり中国の「壷」、経穴と同じ、と思います。日本ではホカロンやヒヤピタ、良い化学薬品が有りますが、ロシアでは便秘、下痢、発熱、胃炎、胃もたれ、胃過敏症、低血圧症(高血圧症ではない)、眼、鼻、歯、神経痛、抹消循環障害、更年期障害、無気力、虚弱体質にはただウオッカを飲むことだけで、又は肌にすり込んだり、ガーゼに滲み込ませて貼り付けたり、煎じ薬や得体の知れないジュースとウオッカの併用で治してしまいます。

 「鍼灸」は民間療法でしょうか。案外知られてないことですが、針灸はロシアにもあります。ロシア本来の「針」は中国や日本の針より太いのです。 もぐさは中国からの輸入物で、ロシア国内産を見たことはありません。そして鍼灸の技術は中国のもので、ロシア人の医者は中国の鍼灸の翻訳本を片手に、細くてしなやかな中国針や日本針と太くて恐ろしいロシア針を併用しています。 ロシアの鍼灸師は中国の鍼灸技術の免許を取得しており、神経痛、腰痛、リューマチを針ともぐさとウオッカと蜂蜜で治します。 私は腰痛や肩こりを自宅で何度も針でなおしてもらいました。処置がまともだったので、同じように苦しむ日本人会の会員の市内の人や木材関係の客人を紹介し、針を薦めました。他人の治療中をチラリと見て、自分もあんなにハリネズミみたいになって寝そべっているのか、と覗き見するたびに思いました。

 しつこい肩こりや腰痛には、治療中に針や患部をもぐさで暖めたり、針治療のすぐあとにもぐさ(ロシア語ではモクサ、生ヨモギはパルイニ)に火をつけられる「お灸」をされてしまいます。 更にガラスコップを数個持ち出してきて、患部の肌に直接蜂蜜を塗り、ガラスコップの内部にウオッカかアルコールを薄く垂らして、それに火をつけ、フッと吹き消すや否やさかさまに肌に直接かぶせる。と、不思議なことに皮膚がコップの中にぷくっと膨れて吸い込まれる。蜂蜜を塗られた場所がヒリヒリと痛かったのなんのって。私がほんとに恐ろしかったのは、随分昔のことですが、勃起不能に陥った時―バイアグラがまだ売り出されていない時―でした、針治療を試したことがあります。 勃起不能には針が一番、終わったらその小指(ミジンチク)みたいなのは大砲(プーシカ)のようになると、と若い女医、看護婦達におだてられ、チンチンのすぐ上の三角州にあのロシア製の太い針を3本も女医に打たれました。打たれた時も引き抜かれた時も痛くて痛くて、泣きました。効いたかって? ご面談の上お話しします。
 (完)

                *鈴木さんの記事にあります「夕べの鐘」の詞が手元にありましたので写させていただきます。(編集子)


                             ☆☆☆☆☆☆♪☆☆☆☆♪☆☆☆☆☆☆♪

                                       夕べの鐘
                                       (ロシア民謡)
                                                         I.コズロフ詞
                                                         A.スベシュニコフ編曲
                                                         トマス・モーア原詞
                             夕べの鐘の音
                                 思いは果てなし
                                       わが恋破れて
                        ふるさと去りし日
                            さすらいいくとせ
                                  やつれし わが身よ
                                                 若き日帰らず
                                                   鐘の音むなしく   (蒲生眞郷・訳)  




    

       ☆石橋幸(みゆき)と仲間たちのコンサート〜ロシア・アウトカーストの唄たち〜☆

    昨夏にひきつづき今年も石橋さんたちのコンサートが催されます。
    狭いホールですので立ち見の際はどうかご勘弁願います。

★日時/829(日曜日)、開演17:00

★場所/創造的インテリゲンチャ会館 
Дом творческой
 
 интеллигенции
(
ムラヴィヨーフ・アムールスキイ通りから
フルーンゼ通りをアムールスキイ遊歩道方向へ少々下った左手のレンガ造りの2階建ての建物。もとの極東フィルムセンター)

★予想される演目/ロシヤの俗謡や古いロマンス、ジプシー歌謡、アレクサーンドル・ヴェルチーンスキイ(1889-1957) およびヴァヂーム・コージン(1903-1994)のレパートリー曲。歌唱はロシヤ語。入場無料。

★問合せ/32-68-87(創造的インテリゲンチャ会館のオーリガ・シコーヂナさん)又は21-41-07(岡田)

                           <ガルガンチュアの灯>

 その教室にはそれほど沢山の椅子があったわけじゃない。けれども空いた椅子はひどく目立っていた。先生がやって来て「幸さんは転校しました」と告げた。

 暮れに見た夢の話である。実はそこしか記憶にない。が、その言葉が与えた衝撃だけは生々しく残っている。後になって思うと、私は日毎に痩せていく幸さんに心理的に脅かされていたのである。

 モスクワでの留学時代、我々は、幸さんを持ったことを誇りにした。共産党政権下のソ連である。酷寒。長い夜。封が開けられたまま届く手紙・・・。不安を紛らそうと寮の調理場に急ぐ。するとそこは別世界。せがまれてギターを手にした幸さんの周りには常に各国の学生が人垣を作り、凄い熱気だった。恐らくはヴィソツキーに群がった人々のように我々も彼女の歌を貪り食っていたのだ。

 あれから十数年経った今も、東京にガルの灯がともっていることを思うだけで気が安らぐ。それどころか、時に悪夢に脅かされる程、私にとって幸さんはかけがえのない人なのだ。そうなんだよ、幸さん。    

                                                    佐藤史郎(翻訳家)

    <地下水脈の歌>

 石橋幸は、ぼくらの崇拝者のあいだでは、「タンコ」と呼びかわされている。名前の幸の愛称なのだろうが、ぼくはながいあいだ、彼女の苗字も名前もしらなかった。

 彼女を取り巻いて酒を飲んでいると、いつのまにか朝になって、ぼくらはあわてて家に帰るのだが、彼女がどこからきて、どうしてそこにいるのか聞いたことはない。ときどき、ふっといなくなってしまうのだが、ロシアへでかけたのさ、と噂にきくだけだった。彼女には共産主義者というよりは、アナキストの危険な匂いが漂っていたから、ぼくは、半信半疑だった。

 それからなん年かして、はじめて彼女が採集してきた歌を聞くことができた。それはロシア民謡のように、甘く、せつなく、明るいというようなものではなく、苦い悲しさとそれを吹きとばす哄笑だった。圧制ソ連の地下を流れてきた、ひそやかな、しぶといひびきである。

 出征した兵士や囚人や泥棒やジプシー、それがタンコの主人公たちである。彼らの魂の歌が、いまことさらぼくたちの胸に食いいるのは、きっとおなじ世紀末を生きているからだ。

鎌田慧(ルポライター)


☆新聞拾い読み☆

 

【シベリヤの最高シャーマン国家会議の議事堂を清める?】

 シベリヤの最高シャーマン、トイジン・ベルゲノフさんは、国家会議の議事堂から悪霊を追いはらう用意を明らかにした。これについては、国家会議社会団体宗教組織委員会で《インターファクス》通信に明らかにされた。同委員会の議長は、《世襲のシャ―マンは、この10年間で下院の建物の中には憎悪や敵意が沢山たまり、また、国家会議で活動する人たちの生命を毒するたくさんの悪い言葉が発せられた、とみなしている》と語った。先に議員のグループは、オホートヌイ・リャードにある国会議事堂をふたたび清めることを提案した。その最初の清めは、1994年、大修理の直後にアレークシイ総主教の補佐役であるイストリンスキイ・アルセーニイ大主教によって行なわれた。     (「太平洋の星」08.05.2004

 

【映画のヒーローたちは沼に住む】

 ハバーロフスク地方のボローニ自然保護区域の職員たちは、6月半ば頃の日本のNHKの取材班の到来を待っている。撮影班は、日いづる国の鳥類学者たちに引き渡される極東コウノトリたちの生活をフィルムに収める予定。日本でのコウノトリに対する関心は偶然のものではない。かつて、この美しい鳥が沢山いることは日本の誇りだった。自然保護区域の職員らの話では、去年、最後の野生のコウノトリが死んだ。日本の鳥類学者たちは、この鳥の個体群を復活させることを思いついた。兵庫県豊岡市に極東コウノトリ繁殖センターが作られた。兵庫県とハバロフスク地方政府の間で極東コウノトリの保護に関する協定が結ばれた。ボローニ国立自然保護区域は、この鳥が営巣して子供を産む同地方内の主要な領域である。日本のコウノトリ繁殖センターと同自然保護区域の間の実務関係は何年も続いている。日いづる国の鳥類学者たちは、すでに、巣のなかから取ったコウノトリを持っていった。鳥たちは、成長し、順応し、2005年には、個体群の復活を目的に自然に放される予定だ。けれども、センターは、ひな鳥で群れを補充しなくてはならない。そのため、今回、さらに2羽のコウノトリが引き渡される。NHKは、学者たちが行なっている仕事に関心を持った。取材班は、コウノトリの巣からひなが取られる瞬間、アムールスク市に設けられた特別の地点での日本へ送り出されるまでの鳥たちの様子、そして、鳥たちの日本の学者たちへの引渡しをフィルムにおさめる。同自然保護区域学術担当副長官者のA.ニキーチナさんの話では、ひな鳥捕獲の許可は得られており、日本の学者たちへの引渡しに対するモスクヴァのゴーサインを待っているところだ。                 (「太平洋の星」11.05.2004

 

【アムールトラ:来客、追放者、移住者?】

 アムール州でアムールトラの姿が見られなくなって半世紀以上、沿海地方やハバロフスク南部地区でのようにアムール州でもアムールトラが常時棲息していたときから2世紀以上が過ぎた。そこへ今年のセンセーション、トラがふたたびアムール州の自然保護区域の森林で確認されたのである。これについては、ゼーヤとノーラの2つの自然保護区域の職員たちが明らかにした。最初はまだ2月のこと、2度目はつい最近のことだという。ノーラ自然保護区域の長官、ヴィークトル・コロートキイさんは、トラが通ったことやうまくけものを仕留めたりしたあとに関する狩猟官らの報告を自ら検証した。これについては、極東連邦管区担当自然利用環境保護促進監督局に伝えられた。長年の定まった現在の棲息圏の外でのアムールトラの出現は、専門家にとって解きがたい謎である。その原因はなにか? レッドデータブックに載っている動物の昔ながらの生息場所への人間の侵入に起因する自然な《よりよい生活》探し、全体的な食糧事情の悪化、もしくは、ほかのトラたちに奪われていない場所があるところへ去ることを余儀なくさせる高まりつつあるトラの密集? これらの問いに対する答えはまだない。なお、11月にはトラの新たな頭数調査が開始される予定だ。現在の資料によれば、ロシヤ極東にはこの地球でいちばん大きな猫が450頭生存しているに過ぎない。      
                                            (「アムール報知」
15.05.2004

【同名の市長候補者のオンパレード】

 ヴラヂヴォストーク市長選挙には13人が出馬する。そのうち12人は、自ら立候補した候補。これについては、市選挙管理委員会で通信社《ヴォストーク・メディア》に明らかにされた。候補者名簿には、政界の有名人と同じ苗字の候補者が含まれている。ロシヤ連邦国家会議議員ヴィークトル・イヴァーノヴィチ・チェレプコーフ氏とほぼ同名のヴィークトル・グリゴーリエヴィチ・チェレプコーフ氏がいる。また、企業家のスヴェトラーナ・ニコラーエヴァと沿海地方行政府職員のアルトゥール・ニコラーエフという候補者もいる。選挙は、200474日に行なわれる。        (「アムール報知」15.05.2004

 

【お詫びと訂正】

   前号の記事【ロシヤの新内閣】中、「国防相イーゴリ・イヴァノーフ」は「国防相セルゲーイ・イヴァノーフ」の誤りでした。  お詫びして訂正します。


六花版/HPの森☆

 四季折々の野の草花やシャクナゲの群生、紅キリシマツツジの大木など、青空と緑深い詩情豊かな山々に囲まれた群馬県東(あずま)村。頚髄損傷で手足の自由を失われ、水彩の詩画を通して生命の尊さ、やさしさを語りつづける星野富広さんの作品を一堂に公開する富広美術館(パンフレットより)。先日一時帰国した際に弊放送局のリスナーの方が是非にと車で連れて行ってくださいました。いつか「六花」という作品にもお目にかかれるのではとふと思ったことでした。(編集子)

http://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/index.html 

 ウラジーミル3世さんのサイト「露西亜舘」(ロシヤやかた)。こちらのサイトでは、ロシアやドイツ国歌、旧東ドイツ国歌、インターナショナル、ロシア民謡等も聴取出来ます。アンダーバーあり。(富山県婦中町在住の小林浩さんからの情報)

http://www.miditext.ru/lyrics/ru/03/chasiki.html

   http://www.karaoke.ru/

   ロシヤのカラオケサイト。民謡やソヴェート歌曲から最近の歌謡曲までロシヤの歌の歌詞が簡単に検索できます。

http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/ files/asahiyamazoo/sc02.html

 今日本でいちばん元気な動物園と言われているそうな北海道旭川市のあさひやま動物園。ロシヤ極東の稀少動物アムールヒョウやアムールトラもいます。ウェッブカメラで動物たちの姿が見られます。

http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/

 在ハバロフスク日本総領事館。当地の情報満載、「六花」も掲載されています。

http://esbooks.yahoo.co.jp

 日本で「本」を探すのに便利です。検索欄あり、書名、著者名、出版社名は勿論、ジャンルでも探せます。

www.nikkei.co.jp www.yomiuri.co.jp www.sannkei.co.jp www.mainichi.co.jp www.asahi.com      

   www.hokkaido-np.co.jp www.kyodo.co.jp

 手軽に読める日本の主だった新聞。

(以上2件は、鈴木宣平さんからの情報)

http://hisgan.fc2web.com

 「六花」のバックナンバーが読めるサイト。

http://www.vill.seta-azuma.gunma.jp/

 四季折々の野の草花やシャクナゲの群生、紅キリシマツツジの大木など、青空と緑深い詩情豊かな山々に囲まれた群馬県東(あずま)村。頚髄損傷で手足の自由を失われ、水彩の詩画を通して生命の尊さ、やさしさを語りつづける星野富広さんの作品を一堂に公開する富広美術館(パンフレットより)。先日一時帰国した際に弊放送局のリスナーの方が是非にと車で連れて行ってくださいました。いつか「六花」という作品にもお目にかかれるのではとふと思ったことでした。(編集子)

* この欄、常設にしたく存じます。掲載ご希望の方、お気軽にokada@pop.redcom.ruまでご連絡ください。

 

☆イヴェント&暮らしの情報☆

 

◎安くてよく効く“温める”塗り薬。左肩から肘にかけての神経痛らしき痛みをうったえていたうちのかみさんが、薬局で「Мазь скипидарная(テレビン油軟膏)」(25グラム入り12ルーブリ)というのを買って試してみたら、具合がよくなりました。神経痛、リューマチ、気管支炎、筋炎などに効くそうです。

エイズ検査。映画館「ギガント」からアムール並木道のほうへすこし下った左側にある大きな病院(《Вивея》、ザパーリン通り83)で手軽に受けられます。まず4階の廊下の突き当たり(歯医者さんとは反対側)で65ルーブリ70コペーイカを払って受取書をもらい、1階の106号室に行って新しい使い捨て注射器で採血してもらうだけでした。パスポートの提示は求められませんでしたが、念のため持っていかれたほうがよいかと思います。1週間前後で結果がわかります。

424日(土)教育大学で行なわれた第5日本語弁論大会を見にいきました。出場者はみなさん個性がきらきらしており、いずれの部門でも甲乙つけがたく選考に苦しみましたが、審査員の方々の評価をまとめましたところ、次のような結果となりました。暗唱部門(詩部門):1位ヴェーラ・シャイドゥーロヴァさん(工科大学2年生)、2位イヴァーン・ヴォローシンさん(経済法律アカデミー1年生)、暗唱部門(物語部門):1位アーンナ・ボルヂローフスカヤさん(教育大学3年生)、2位アンドレーイ・ゾロトゥーヒンさん(極東外国語大学2年生)、スピーチ部門:1位アレクサーンドラ・マフラコーヴァさん(教育大学4年生)、2位ナターリヤ・トローツカヤさん(教育大学4年生)。そして、日本人会賞は、暗唱部門(物語部門)で「一寸法師」を淡々と静かに味わい深く暗唱朗読されたヴィークトル・ゴルシコーフさん(経済法律アカデミー2年生)に贈らせていただきました(小生より断然うまく読まれましたので・・・)。出場者の皆さんのもしかすると日本人よりも美しい日本語と若者らしいまっすぐな主張に爽やかな感銘を覚えたことでした。

極東動物園Дальневосточный зоосад)に行ってきました。ハバーロフスク市の中心から北へ車で1時間くらいでしょうか。8番のバスの終点ポリャールナヤ(Полярная)のさらに先のヴォローネシという地区にあります。アムール川を望む丘の斜面に造られた園内には、ヒグマ、シロクマの“ゴーシャ”、ツキノワグマ、アカオオカミ、カナダオオカミ、ノロジカ、キツネ、タヌキ、アナグマなどがいました。入園料は大人48ルーブリ。51日、大勢の人が見守るなか、2匹の子供のアムールトラが、プールつきの広い檻のなかに放されたそうです。 

◎素敵なロシヤの記念切手郵便局38(ヴォロチャーエフスカヤ通り188。アムール並木道をセールシェフ通りへ上っていくとナロードナヤ・カンパーニヤのすこしうえの右手です)の入って左奥のコーナーで記念切手を一括して扱っています。現在、露日戦争100周年、作曲家ミハイール・グリーンカ生誕200周年、現代絵画における愛国主義的テーマ、露独共同発行の切手などが販売されています。

新潟空港のエレヴェーター。1階の売店と現金自動引き出し機の間の通路の奥。手荷物が多めのときカートごと2階に上り、空になったカートはそのまま置いていけます。

◎新潟空港の税関職員の方に「漂白剤は飛行機に乗せられません」と言われ、トイレに流し捨てました。

忘れ物にご注意。新潟空港で購入した免税品のはいった紙袋をうっかりハバーロフスク空港に置き忘れて、帰宅後気づきました。もうなくなってしまっていると思いながら、翌日午前9時過ぎに空港へ行くと、なんと保管室に保管されていました。おなじ便でほかにもう2件、忘れ物があったとのこと。係の方の話では、忘れ物がなくなるケースはごく稀、とのことです。 

先日、一時帰国の際、日本の友人にロシヤのコニャック・クレムリョーフスキイの小瓶をプレゼントしますと、「コクがあって美味しかった。いわゆるブランデーとはどこか味わいが違う」とのこと。コニャックとブランデーの違いをご存知の方がおられましたら、お教えいただければ幸いです。(編集子)

新刊書のご案内。元北海道新聞ハバーロフスク支局長、元ハバーロフスク日本人会副会長、そして、「平成版日本新聞」(「六花」の前身)編集者の北海道新聞記者(現在、小樽報道部)、本田良一さんが、この度、「密漁の海で/正史に残らない北方領土」(凱風社)という本を出版されました。“「ムネオスキャンダル」の核心にあるのは何か。一挙読破の迫真のドキュメント。漆黒の根室海峡を密漁船の航跡が鋭く切り裂く。はたして無事に帰還できるのか”(チラシより)。なお、本田さんの既著「揺れる極東ロシア 国境を行く」(北海道新聞社)は、私の手元にあります。お読みになりたい方はどうぞご一報を。

 著者の本田さんより次のようなメッセージをいただきました。「以前、ハバロフスクに駐在していた者として、「六花」に紹介していただき、光栄です。この本は、北方領土周辺の「国境の海」を舞台に活躍した有名、無名を問わず、「国賊」と呼ばれた人々の物語です。しかし、その「国賊」とは「愛国者」でもありました。結果として、根室、東京、ハバロフスク、東京、モスクワ、東京と、北方領土問題を取材してきた私の18年の記録となりました。ぜひ、読んでください。



ロシヤ国営ラヂオ「ロシヤの声」日本語放送・周波数表(2004328日〜20041030日)

  日本時間  21.00-22.00  中波630 720 短波 5905 7135 

          22.00-23.00  中波630 720 短波 5905 7135 7355 kHz

 * HPアドレスは、http://www.vor.ru 22.00-23.00の放送はリアルオーディオでもお聴き戴けます。


 ハバロフスク支局では番組「シベリヤ銀河ステーション」のインタヴューコーナーに友情出演してくださる方を募集しております。スタヂオ見学もどうぞお気軽に。(21-41-0732-45-46/岡田)

628日、当会会員の或る方(匿名をご希望)より、素敵な書物をたくさん頂戴いたしました。次の22点(24冊)です。共用とさせていただきますので、お読みになりたい方は岡田までご連絡ください。

ウラジーミル・アルセーニエフ/長谷川四郎訳「シベリアの密林を行く」(スウェン・ヘディン/岩村忍訳「中央アジア探検記」とアラン・ムアーヘッド/篠田一士訳「白ナイル」を併録)五木寛之「風に吹かれて」 井上靖「蒼き狼」「北の海」「崑崙の玉」「西域物語」「敦煌」「楼蘭」 大庭柯公「露国及び露人研究」 加藤九祚「シベリアに憑かれた人々」 川端康成「伊豆の踊子」  工藤美代子「旅人たちのバンクーバー」 椎名誠「ロシアにおけるニタリノフの便座について」 高橋治「派兵」(第1部・第2部)高橋和巳「悲の器」高見順「都に夜のある如く」  武田百合子「犬が星見た/ロシア旅行」 カール・ヒルティ/草間平作・大和邦太郎訳「幸福論」(第1部・第2部)松尾芭蕉「奥の細道」 安岡章太郎「ソビエト感情旅行」 山本周五郎「青べか物語」 われは海の子/楽しい唱歌



 ◎6月29日、シスターの吉村喜美子さんより、お知り合いのロシヤ人の方からいただいたという2葉の貴重な写真と「北斗星・イルクーツクに於ける日本人捕虜埋葬地」という地図(ロシヤ連邦エコロジー省測地学地図作成委員会、モスクヴァ、1992年)を頂戴いたしました。写真はどちらも、日付が1945年8月、場所はソヴェーツカヤ・ガーヴァニ(タタール海峡に臨むハバーロフスク地方の港町)。左は、そのお知り合いの方のお母様がご自宅の2階から撮影されたという捕虜となられた日本兵たち、左は中国・朝鮮系の乙女たちとのことです。当時、食事はロシヤ人より日本人捕虜の方々のほうがよかったそうです。なお、いただいた地図にご関心のおありの方はどうぞご一報ください。

 

 

NHKワールド・ラジオ日本」放送時間・周波数表(2004329日〜20041031日)

<東南アジア向け>

<アジア大陸向け>

日本語

日本語

ロシア語

日本時間  

kHz

日本時間

 kHz

日本時間

 kHz

11.00-12.00

11860

11.00-12.00

17845

12.30-13.00

17845

11.00-4.00

17810

11.00-14.00

15195

14.30-15.00

11715/11760

16.00-18.00

17860

16.00-17.00

15195/6145/6165

17.00-17.30 

6145/6165

16.00-19.00

11740

17.00-01.00 

9750

22.30-23.00 

6190

18.00-01.00

11815

01.00-02.00 

9750

04.00-04.20 

5955

01.00-04.00 

7200

01.00-04.00 

6035

 

 

05.00-07.00

11665

05.00-06.00 

6165

 

 

05.00-09.00

13680

06.00-07.00 

9560

 

 

 

 

05.00-09.00

11910

 

 

【編集後記】季刊のペースで第11号となりました。ご案内いたしましたコンサートの出演者及びスタッフの方々にメッセージをお願いしておりますが、少し時間がかかりそうですので、後日、号外の形で配信させていただければと存じます。なお、「六花」プリント版は、総領事館と日本センターに置かせて戴いております。次号の原稿の締切りは、2004年9月末日です。イヴェント&暮らしの情報、離任着任メッセージ、詩歌やエッセイなどお気軽に岡田までお寄せください。
(職場
32-45-46自宅пFax21-41-07/メールokada@pop.redcom.ru)。

それではみなさまお元気に素敵な夏をお過ごしになられますよう!


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六花(РИККА)夏(11)号


















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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